本文へ移動

純心聖母会

法人の概要

会の紋章の説明

純心聖母会の紋章
1984年作成 創立50周年記念
十字架(外形) 
純心聖母会の創立者のカリスマ「与え尽くす十字架上のキリスト」を表す

m・鳩(上部)
聖母マリアと聖霊の神殿であるマリアのみ心を表す

心・I.C.M.  3線(下部)
三誓願に生きる術を「マリアの汚れなきみ心(I.C.M.)に倣い、「イエズス様から霊能が出るほどの(回章1950年)」深い祈りで宣教へと向かう本会会員一人ひとりの心を表す(心の漢字で表現)

会の霊性

サンタマリアのご像の前で
 サンタマリアのご像の前で
   本田利光 作
 私たちは、早坂司教とシスター江角の霊的遺産を受け継いでいます。
(1)聖体への信仰
 私たちは、キリストの愛のしるしである聖体に深い信仰を表します。ミサで主の死と復活を記念し、命の泉である聖体に養われて、福音宣教に向かいます。
(2)聖母マリアの汚れなきみ心の霊性
 私たちは、汚れなきみ心の聖母に対する信心を大切にします。十字架のもとに立っていた(ヨハネ19・25参照)聖母マリアのみ心に倣い、愛と謙遜をもって神と人々に奉仕します。
(3)日本の殉教者の精神
 私たちは、地に落ちて多くの実を結んだ一粒の麦(ヨハネ12・24参照)である殉教者に倣い、信仰の証し人となるように努めます。

  私たちは、創立者が使命とした人々の魂の救いのために福音宣教に遣わされます。「出かけて行って実を結び、その実が残るように」(ヨハネ15・16)惜しみなく自分を捧げ、聖母マリアに倣って、神の愛に根ざした教育と社会福祉の活動を通して使命を果たします。

純心の歩み

  純心聖母会創立者、早坂司教様。司教様は日本人として最初の司教。

会の歴史年表

1934年6月9日 長崎教区長 早坂久之助司教によって創立
1938年ローマ布教聖省より長崎教区所属修道会として認可
1945年8月9日 長崎市に原爆投下。修道女・純心学園教職員・動員学徒の214名が殉難
1980年ブラジルへ6名のシスターを派遣。ブラジルに支部修道院が開設
1982年2月26日 教皇ヨハネ・パウロ二世が恵の丘訪問
1983年恵の丘に本部修道院、祈りの家、修練院落成移転
1984年創立50周年
1994年聖座法に基づく教皇権下の修道会として認証
2009年創立75周年
2014年創立80周年

「恵の丘」の由来

 1945(昭和20)年8月9日の原爆で純心は、動員学徒214名を失い、校舎も全焼するという悲運に見舞われた。その朝、時の校長シスター江角は「今日は疎開のつもりで元気な人は皆、木場の山に行くように」といわれ、いつもの倍近くの10人余のシスターと、生徒14〜15名は約8?あまりの三ッ山に、松脂採集に出かけた。
 「11時頃、飛行機の音と共にピカッと光ったと思うとドーンと音がしました・・・
辺りが暗くなって雨も降り出し」長崎の方から飛んできた紙切れを拾い上げてみると「聖書や工場長さんの名前の書いてある書類など」で、純心の方がやられたと予感し、即刻下山することになる。聖書や生徒名の紙片が爆風にのって、はるか彼方の山で作業していたシスターの手に届くとは、偶然とはいい難い神のみ摂理ではなかっただろうか。
 創立10年、やっと軌道にのりはじめた学園は一瞬のうちにすべてを灰に帰したのである。とりわけ、全生徒の三分の一余の純真な乙女を失った悲しみで、学校を閉鎖し、観想修道会でその学徒らのために祈ろうとシスター江角は考えたという。
 被爆した生徒たちの家庭訪問や家族からの報告に「聖歌を口ずさみつつ、ロザリオを祈りつつ、学園への思いを口にしながら」苦しい中で、平和に優しい心で息を引き取っていったということが、幾つも校長のもとに届いた。「純心の教育は間違いなかった」との新たな確信のもとに、学園の復興が図られることになる。
被爆後の学園の処理作業は、生き残ったシスターらを中心に進められた。
「この丘がなかったら純心は復興しなかったでしょう。それでこの丘を『恵の丘』と名付けました」とシスター江角は記している。
 『長崎純心聖母会の五十年』より抜粋

純心聖母会
〒852-8142
長崎県長崎市三ツ山町415
TEL.095-848-2241
FAX.095-843-7570

0
6
3
1
1
5
TOPへ戻る