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神さまのひろば

★神様のひろば★

みことばを語ること
2017-06-01
みことばを語ること(小野田修道院)
 
 「気を紛らわせるために、聖書を書き写して暗記するようにしています。」服役中に母親を亡くした受刑者の青年Sさんが、亡き母のために祈って欲しいと、個人面会を依頼してきた。小さな面接室で一緒に祈った後に、先程の話をしてくれた。母を支えにして生きてきたSさんは、まだショックから立ち上がれずにいた。その悲しみを忘れるために、図書棚にある共同用の聖書を週3日間借りては書き写し、後の4日で暗記する。それを繰り返しているというのだ。私は彼の話を聞きながら、聖書を差し入れしようかと迷った。しかし、即座にその考えを否定して、「大きなお節介だ」と自分に言い聞かせた。自分用の聖書を持つのが当たり前の私には、聖書を丸暗記するというSさんの行動が本当に驚きであったが、神のなさり方にふれて温かい気持ちにもなれた。
 小野田に来てしばらくたったころ、イエズス会の神父様から教誨師の誘いを受けた。人手が足りないので手伝ってほしいとのこと。ちょうどそのころ、私は修道者の存在の意味について考えた末、大切なことに気づかせてもらっていた。「みことばを語らなければ…」と。そんな時の誘いだったので、私はこれをみ旨と感じて応えることにした。8年前のことだ。あれから毎月、車で一時間の距離を美祢社会復帰促進センター(刑務所)に通い、10数名のグループで聖書の分かち合いをしている。私が話すというより、私の口を使って神が語ってくださる。そう思えるようになってきた。「語る」ための準備をしている時、あるいは聖書の分かち合いの間、受刑者と一緒に「主の祈り」を唱える時、そして、彼らの辛さや不安に黙って耳を傾ける時に、私は確かにより間近にイエスと出会えているのだ。
 先日の分かち合いの後で、Sさんが穏やかな顔で質問してきた。「主の祈りの場面は聖書の中に2か所あるのですが…。」と、聖書の箇所が彼の口からすらすらと流れ出るではないか。咄嗟の彼の問いかけにオロオロとしながらも「投げ出さないで頑張っているな」と嬉しくなった。刑務所の塀の中でも、神は自由に働いておられるのだ。いま、「みことばを語る」喜びが私の中にある。ただただ感謝である。

純心聖母会
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