純心聖母会は、長崎大司教区に本部を置く聖母マリアの汚れなきみ心に捧げられた教育と社会福祉の使徒的活動を行う聖座法の女子修道会です。

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純心聖母会
〒852-8142
長崎県長崎市三ツ山町415
TEL.095-848-2241
FAX.095-843-7570

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福 音 宣 教 の 小 道

 

★神様のひろば★

★神様のひろば★
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保護者への福音宣教
2018-03-01
保護者への福音宣教(八王子修道院)

 東京純心女子高等学校発足後22年たって昭和61年(1986)、中学校が開校した。2年位経ってある一人の先生が、保護者対象に聖書のお話の集いを行なってはどうかとの提案を受けて、全ご父母にお知らせを配布した。申込者が多かった場合どうしようと心配していたが、杞憂に終わってほっとした次第であった。当時、これに関わった先生たちはシスターたちの他にカトリック信徒の先生もいた。グループ名を付けたところもあり、「野いちごの会」とか、私のグループは「泉の会」であった。
 転勤のために他のシスターに継続を依頼。しかし、生徒が卒業すると自然消滅の形となることが多かった。10余年後、八王子に戻った時、「泉の会」の名は続いていたものの色々な事情もあり、現在は年一回程度集まりを持っている。しかし、個々に連絡があったり、お目にかかるチャンスもあり、純心の絆は続いている。
 この保護者対象の動きが、現在もシスターたちによるお母様方への宣教の形として続けられ「聖書に親しむ会」として、月一回程度、修道院の小さな応接室を利用して継続されている。直接洗礼につながることはなかなか難しいが、しかし、み言葉の種蒔きによって祈る心が培われ、神様への方向性が形づくられて、少ない人数ながらも広い意味での神の国が実現しているように思われる。
現在私の一グループは、在校生の母親(カトリック信徒)の依頼によって始まった。
 「心がほっとする聖書の言葉に触れたい」と望んでいる友人がいるのでお話を伺いたいとのことであった。この方の持参した聖書には、新約のみならず旧約の部分にもたくさんの付箋がついていて、プロテスタントの教会で聖書を読んでいた方ではないか(?)と思っている。カトリックの母親もともに参加し、聖書を全く知らない友人がまた一人加わった。
最初に味わったみ言葉は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ5・16~18)である。
 イエス様の呼びかけが心を安らかにし、あたたかいお恵が満ちあふれますようにと祈りつつ始まったグループであった。今、5名のお母様方が参加している。
 
人間のはかなさ
2018-01-01
人間のはかなさ(川内修道院)
 
 何年か前、修道院の遠足でパラグアイの奥地にあるイエズス会の遺跡を見学したことがあった。スペインからの宣教師たちは原住民をヨーロッパ風に教育した。宣教師が亡くなり、残された原住民はもとの森の生活に戻っていった。この遺跡を見た時、人間のはかなさを思い知らされた。
 それ以後、死について考える機会が多くなり、ホスピスを始めたスイス人のエリザベス・キュープラ・ロス博士の『死ぬ瞬間』やその弟子のデヴィット・ケスラーの本を読むようになった。過ぎゆくものの一部である私たちの人生に神様が与えてくださった恵みについて。
 川内修道院は12名の共同体。私にとって初めての大きな共同体である。幼稚園では若い先生たちの中のおばさんシスター、子どもたちからは「どうちゃん」とか「どうぞのピー」と呼ばれ、40年ぶりの日本のシステムにウロウロしている。反面、共同体では若いシスター、貴重な体験である。
 『ラウダート・シ』からエコロジーについて、子どもたちに分かりやすく具体的に話したり、8月の終戦記念日には 平和、生命について、また見る・識別する・実行すると、いつも考える習慣を身につけるように説明したり、夏休みの学童クラスではポルトガル語の授業もした。
 与えられた場を利用して、今、自分にできることを模索している。小さい子どもでも自分の意見をしっかり持っていて、補助に入ったクラスで私なりにやろうとすると、「まちがい」と反応する。こんなやり方もあると柔軟な心を持ってほしいと思う。
 過ぎゆくものである私たち、残るのは心だけ。どれだけの真心をどれだけの人々に伝えられるのであろうか?
誕生の奇跡に運ばれてきたように 死の奇跡に運ばれていく
「死にゆく人の17の権利」 デヴィッド・ケスナー
 
神の恵みの豊かさの中で
2017-12-01
神の恵みの豊かさの中で(ベタニア修道院)

 鹿児島純心卒業のTさん、受洗されて今年で16年になられる。加えて古希を迎えられ、溢れる喜びの便りでは「日頃、洗礼の恵みに感謝し、何事か起こる度に祈り、平安をいただいています」と、信仰の恵みを伝えてこられる。
 Tさんの受洗のきっかけは、16年前の私が新任地への出発を翌日に控えた深夜のこと、Tさんからの電話でご主人が危篤であると告げられた。「何とか力をください」と願われる中で、さらに洗礼を希望されたので、鹿児島教区の神父様に電話でお願いの連絡をとった。その折ご主人だけでなく、夫妻ともに洗礼の恵みをいただいたのであった。その数日後、ご主人は帰天されたが、彼女は悲しみの中にも大きな慰めをいただかれたようである。
 その後のTさんは、現在の所属教会で要理を学び、信仰の喜びを行動で実践され、信徒の方々にもよく知られる存在である。その活動は、ホームレスの方たちへの支援ボランティアを9年、ザビエル教会の案内ボランティアを10年ともに継続中で、これら活動での出会いを通して感謝しておられる。「神様への恩返しと思っていましたが、自分のためのような……」と内省されながらも。
 また一昨年帰天された母上も、受洗に導き、信仰の深さを体験され、折あるごとに信仰の実践的喜びを分かち合ってくれる彼女に、私も励まされ宣教の使命に力づけられている。
 
初聖体準備
2017-11-01
初聖体準備 (神崎修道院)

 純心保育園児13名の初聖体準備のために奉仕させていただいております。洗礼の恵みをいただいて神さまのこどもになったこと、洗礼式のとき洗礼名を授けていただいたこと、神さまのこどもになった人だけが聖体をいただけることなどの話から勉強会を始めました。
 洗礼名は聖人の保護を願い、聖人をお手本とすること、どんなときも守り助けていただくために、勉強会のはじめに諸聖人の連願のように、洗礼名の聖人を一人ひとりが唱えることにしています。それが嬉しい様子で得意気に大きな声で祈っています。週4回、9時から30~40分、行事日を除き勉強しています。曜日や時間を決めているのに、「明日の勉強会ありますか。休みにしないでね」と喜んで参加する子どもたちに、いつもやさしく見守ってくださる神さまがいらっしゃることを伝える大切な使命をいただいていることを感謝しつつ関わっています。
 勉強会では、信仰教育委員会の「初聖体テキスト」と「ちいさいこどものせいしょ」(サンパウロ発行)を使っていますが、勉強の内容を子どもたちにどれだけ届けることができるか分かりませんし、初聖体準備の基本はそれぞれの家庭においてなされるものですから、保護者の協力を得るために週末には、テキストを持ち帰っています。信仰教育委員会のテキスト作成の目的は、保護者のためでもありますので、委員会からの家庭への協力とお願いを参考に、
*初聖体の勉強の内容を家庭にも知らせ、子どもと一緒に学ぶ機会をもってもらう。
*初聖体まで、家族が一致して、待つ心を大きくするために、一緒に祈りの時をもってもらう。
*聖書に触れる機会をもってもらう。(子どもの聖書などから、救いの歴史、イエス様の生涯を知る)
*家庭でゆるしの秘跡の流れ、挨拶のことばなどを勉強してもらう。
 以上の事柄に協力をお願いし、主日、祝日のミサにできる限り保護者と一緒に参加するように呼びかけ、無理な場合は子どもだけでも参加できるように関わっています。神崎10名、褥崎3名、全員参加しています。
 教会学校では、褥崎の1年生5名、神崎の1年生初聖体準備組6名、5・6年生29名の3クラスを担当しています。元気な園児や小学生から力をいただき、難しいことも多々ありますが、神さまの計らいのなかで、祈りながら努めています。
 
聖書に親しむ会
2017-10-01
聖書に親しむ会 (八王子修道院)

 八王子修道院では、中高の在校生の保護者を対象に「聖書に親しむ会」を開いており、8名ほどの姉妹がそれぞれ数名からなるグループを受け持ち、月一回ほどの集いの時間を設けています。生徒が卒業してからも、ずっと集いに参加しておられる方もあり、保護者の方のみことばへの熱意と親しみを実感しています。私はこちらに来るまで、大人の方、それも未受洗者対象に聖書の話をした経験がなく、初めはとても不安で、尻込みしていたのですが、集まってくださったお母様方は、私のつたない話にも喜んで耳を傾けてくださり、みことばを中心に、おだやかな時間を過ごせるようになりました。「何を話せば?」「大切なことを私が伝えられる?」という、私の心配は杞憂でした。なぜなら、そこにはキリストがいてくださるということが実感できたからです。「私が」話をしなければ!と思うのは、思い上がりと言ってもよいのかもしれません。
 ただ、生徒に対してはもっと工夫が必要だと反省しています。いくつかのクラスで朝礼時に聖書の話をしますが、生徒は目の前のことに夢中で、聖書を口に出して読んではいても、その言葉はそよ風のように耳元を流れていっています。準備に十分な時間を割くことができず、反省の毎日ですが、どのような切り口で話をしたら印象に残るだろうか、と日々挑戦中です。
そんな生徒たちでも、時々ドキッとすることを言うときがあります。先日、ナインの若者がよみがえる場面を読んだ日、朝礼を終えた私にとなりのクラスの生徒が走り寄ってきて、「イエスさまは嫌い!」と言います。「なぜ?」と問うと、「私のおじいちゃんはよみがえらせてくれなかった!」と言うのです。次の授業もあり、とっさのことで、適当に言葉を濁して別れましたが、適切な受け答えができなかったことが悔やまれます。いつどんなときも、イエス様の愛を伝えることができるよう、日々祈りの中で心の準備をしておかねば、と思った出来事でした。
 みことばの種まきを待つ土壌はそこかしこにあるのに、見過ごしていることも多くあるのかもしれません。みことばの種を、常にふところに忍ばせておきたいものです。
 
イエス・キリストは御父の宣教者
2017-09-01
イエス・キリストは御父の宣教者(ブラジル修道院)
 
 教会は常に宣教を続けています。イエス・キリストは御父の宣教者です(ヨハネ20・21)。ですから、教会は、本質的に、その行動と言葉を通してイエス・キリストのメッセージを人々に伝えています。アパレシーダの教書も私たちに「人々、家庭、共同体、民の出会いに向かって、キリストとの出会いの恵みを告げ知らせ、分かち合うために出発する」(アパレッシーダ教書548)よう私たち宣教者に問いかけています。現在、私は6か月、高齢者への奉仕のため、純心デイケアセンター聖母の家におります。普段は受付・事務の仕事をし、病気の姉妹を病院へ連れて行くため、車を運転しながら付き添いも行っています。
 聖母の家にいる時は、高齢者と接するように努め、彼らの世話をし、帰宅前のロザリオの祈りも一緒にしています。家族が高齢者を迎えに来るまで、日々の生活について彼らと会話し、彼らの生活を知るようにしています。
 一部の人たちは記憶力もあり、自分の生活を話すことができますが、大半の人は記憶障いつも話したり聞いたりすることを、あたかも初めてのように繰り返しています。先日、「喜びの使徒勧告」について講演を聞く機会がありました。「家庭内の愛」について、神はどれほどの忍耐をもって私たちを愛しておられるか、愛は寛容なものという講話でした。祈り、情け深さ、素朴さを小さな行いを通して知らせて行けますよう願っています。父なる神の無償の愛について感謝を忘れず、高齢者に奉仕していきたいものです。教書の中の高齢者の項で、「年老いたときに、私を拒絶しないでください。また私に力が無くなった時に、私を見捨てないでください」と書かれていました。高齢者が自分の共同体のなかで、尊敬され、感謝、歓待されるよう共同の意識を保つよう力を尽くしたいと願っています。
 
高齢者に優しい
2017-07-01
高齢者に優しい (鹿児島修道院)

 鹿児島市民になって4年目になります。鹿児島市福祉行政のいいところは、老人に優しいところです。その最たるものは、70才以上の高齢者への交通費の割引制度です。こんなに大きい丈夫な私なのに、子ども料金より安くバスや電車を利用できます。いいのかなあと申し訳なく思いつつも、私はこの恩恵をフル活用して病人訪問に出かけます。
 鹿児島大学病院には、川内純心高校の卒業生のご主人(43才)が急性骨髄性白血病のため長期間闘病中です。厳しい抗癌剤治療が続いています。病人本人はもちろん看病する側も先行きのわからない展開に疲弊しきっています。このような時、どんな言葉があるのでしょうか?言葉を選ぶのに慎重になります。でもあるのです。一番いいのは祈りです。信者でいらっしゃるので、ロザリオを一連、一連、一緒にゆっくり静かにとなえます。たったこれだけで何もできないのに毎週水曜日の午後の出会いを楽しみに待ってくださっているのがうれしいのです。ちなみに純心学園前のバス停から大学病院まで片道60円です。
 今給黎病院には、一人暮らしの信者の女性の方が入院中です。鹿児島駅の近くなのに電車だと純心学園前からなんと50円です。本当に格安料金でみ言葉を携行できるのです。タクシーは、割引料金がないので一切利用することはありません。もっぱら電車とバスのみ。足も体も丈夫ときているのでどこまでも行くことができます。今のところ自分のことで病院にお世話になることはありませんが…。でも本当に思います。病気の方々の犠牲に比べ私のそれなどはなんととるに足りないちっぽけなものなのかと。自分の生半可な生き方にあらためて気づかされる時でもあります。
 老人施設に入所されている100才を超えられた元ご父兄のお年寄り、少しお体が弱くなられた恩師等、東奔西走とは少し大げさだけど訪問を続け、病気や老齢の方々とのしばしの友となるべく寄り添える時間をこれからも大切にしていきたいと思っております。これもすべて鹿児島市福祉行政のおかげです。
 その他、月1、2回のお母様方との聖書の学びもあります。こんな私でも神さまの促しにそってみ言葉とともに生きる道をこれからも模索していきたいと思います。
 
みことばを語ること
2017-06-01
みことばを語ること(小野田修道院)
 
 「気を紛らわせるために、聖書を書き写して暗記するようにしています。」服役中に母親を亡くした受刑者の青年Sさんが、亡き母のために祈って欲しいと、個人面会を依頼してきた。小さな面接室で一緒に祈った後に、先程の話をしてくれた。母を支えにして生きてきたSさんは、まだショックから立ち上がれずにいた。その悲しみを忘れるために、図書棚にある共同用の聖書を週3日間借りては書き写し、後の4日で暗記する。それを繰り返しているというのだ。私は彼の話を聞きながら、聖書を差し入れしようかと迷った。しかし、即座にその考えを否定して、「大きなお節介だ」と自分に言い聞かせた。自分用の聖書を持つのが当たり前の私には、聖書を丸暗記するというSさんの行動が本当に驚きであったが、神のなさり方にふれて温かい気持ちにもなれた。
 小野田に来てしばらくたったころ、イエズス会の神父様から教誨師の誘いを受けた。人手が足りないので手伝ってほしいとのこと。ちょうどそのころ、私は修道者の存在の意味について考えた末、大切なことに気づかせてもらっていた。「みことばを語らなければ…」と。そんな時の誘いだったので、私はこれをみ旨と感じて応えることにした。8年前のことだ。あれから毎月、車で一時間の距離を美祢社会復帰促進センター(刑務所)に通い、10数名のグループで聖書の分かち合いをしている。私が話すというより、私の口を使って神が語ってくださる。そう思えるようになってきた。「語る」ための準備をしている時、あるいは聖書の分かち合いの間、受刑者と一緒に「主の祈り」を唱える時、そして、彼らの辛さや不安に黙って耳を傾ける時に、私は確かにより間近にイエスと出会えているのだ。
 先日の分かち合いの後で、Sさんが穏やかな顔で質問してきた。「主の祈りの場面は聖書の中に2か所あるのですが…。」と、聖書の箇所が彼の口からすらすらと流れ出るではないか。咄嗟の彼の問いかけにオロオロとしながらも「投げ出さないで頑張っているな」と嬉しくなった。刑務所の塀の中でも、神は自由に働いておられるのだ。いま、「みことばを語る」喜びが私の中にある。ただただ感謝である。
 
神様や聖書について何でも聞いてみよう
2017-05-01
神さまや聖書について何でも聞いてみよう  (三ツ山修道院)

 「神様や聖書について何でも聞いてみよう」と呼びかけるポスターが学内の数か所に掲示されている。カトリック学生の会が主催している企画で、シスターや信者の先生数名がそれぞれのテーマを持って学生を募っている。宣教の一環として私も何かできればと思い名前を連ねてはいるものの、待てども、待てども学生が訪ねてくる様子はない。どうしたものかと思案していると、タイミングよくゼミ生を担当することになった。
 私の担当するゼミ生はモンテッソーリ教員を目指す学生で、半数以上の学生がカトリック系の幼児教育、保育現場に就職していく。しかし、ゼミ生の中で信者は1パーセントいればよい方である。学生は大学でキリスト教についていくつかの講義を受けているが、本人たちも十分理解できていないことを自覚しているため、就職後、日々の保育の中で行われる、お祈りや宗教行事等に対する不安を抱いている様子が伺える。そこで、4年生の後期に週1時間の勉強会をやってみようと思い、ゼミの4年生に自由参加ということで呼びかけた。昨年3回目の勉強会を行ったが、いずれも8割以上のゼミ生の参加があった。
 勉強会の内容は園で行われる宗教行事を踏まえて、教会暦について、教会の建物内の説明や意味について、旧約聖書の振り返り、お祈りについて、聖母マリアについて、宗教行事に向けての準備のあり方などである。「講義で習ったはずだけど」と言いながら聖書の内容や人名を質問すると、苦笑いをする学生、張り切って答える学生など様々である。時にはとんちんかんな答えをして、皆で爆笑することもある。学生からは、「意味が分かった」、「整理ができた」などの声も聞かれるので、少しは役に立っているようである。終わりにはお茶をして和やかに過ごし、あっという間に1時間が過ぎていく。
 モンテッソーリは幼児期に「宗教を感覚的に理解する鋭い敏感期があることを知りました」と述べている。環境から多くのことを吸収する幼児期に宗教的環境を整えることができる保育者であってほしいと願っている。就職後、彼女らがこれまで学んだことを、保育者として少しでも日常の園生活の中で子どもたちに伝えていくことができるようにと祈りながら、今年も10名のゼミ生を送りだした。
 
私の宣教活動
2017-04-01
私の宣教活動について (シスターI)

 宣教の目的と手段は、音楽を通して、救い主イエス・キリストを伝えることである。    
具体的にはカトリック教会固有の聖歌、グレゴリオ聖歌で、月に二度の集まりでは、その音の流れとラテン語テキストとの一致を示す、いわゆる古(こ)ネウマと称するものの指示に基づいて歌うことである。                           
では古ネウマとは何かというと、ネウマ(記号)の古い形で、写本に記されたテキストの流れを示すために、その上に記録されているのであるが、単音符から集合音符あるいはその多様な組み合わせに至るまで、実に詳しく聖歌の心を伝える記号のことである。単にネウマというと記号にすぎないが、これにギリシヤ文字のプ(霊、気、風)をつけてプネウマとすると作曲した人の心を表すことになり、意味がいっそう深められる。
 勉強会に集まるメンバーは25名で、その大部分は旧短大音楽科の卒業生で、子育てが終わったから、音楽の本質をもう一度学びたいと言ってやって来てくれている。
 ここで深く思い起こすのは、恩師・K先生の存在である。先生は東京芸術大学音楽部の名誉教授、シスター江角の願いによって旧短期大学音楽科の第一代科長となられ、音楽と信仰の両輪を以って生きることを、身を以って教え込んでくださったのである。 神に感謝!
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