純心聖母会は、長崎大司教区に本部を置く聖母マリアの汚れなきみ心に捧げられた教育と社会福祉の使徒的活動を行う聖座法の女子修道会です。

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純心聖母会
〒852-8142
長崎県長崎市三ツ山町415
TEL.095-848-2241
FAX.095-843-7570

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福 音 宣 教 の 小 道

 

★神様のひろば★

★神様のひろば★
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聖書に親しむ会
2017-10-01
聖書に親しむ会 (八王子修道院)

 八王子修道院では、中高の在校生の保護者を対象に「聖書に親しむ会」を開いており、8名ほどの姉妹がそれぞれ数名からなるグループを受け持ち、月一回ほどの集いの時間を設けています。生徒が卒業してからも、ずっと集いに参加しておられる方もあり、保護者の方のみことばへの熱意と親しみを実感しています。私はこちらに来るまで、大人の方、それも未受洗者対象に聖書の話をした経験がなく、初めはとても不安で、尻込みしていたのですが、集まってくださったお母様方は、私のつたない話にも喜んで耳を傾けてくださり、みことばを中心に、おだやかな時間を過ごせるようになりました。「何を話せば?」「大切なことを私が伝えられる?」という、私の心配は杞憂でした。なぜなら、そこにはキリストがいてくださるということが実感できたからです。「私が」話をしなければ!と思うのは、思い上がりと言ってもよいのかもしれません。
 ただ、生徒に対してはもっと工夫が必要だと反省しています。いくつかのクラスで朝礼時に聖書の話をしますが、生徒は目の前のことに夢中で、聖書を口に出して読んではいても、その言葉はそよ風のように耳元を流れていっています。準備に十分な時間を割くことができず、反省の毎日ですが、どのような切り口で話をしたら印象に残るだろうか、と日々挑戦中です。
そんな生徒たちでも、時々ドキッとすることを言うときがあります。先日、ナインの若者がよみがえる場面を読んだ日、朝礼を終えた私にとなりのクラスの生徒が走り寄ってきて、「イエスさまは嫌い!」と言います。「なぜ?」と問うと、「私のおじいちゃんはよみがえらせてくれなかった!」と言うのです。次の授業もあり、とっさのことで、適当に言葉を濁して別れましたが、適切な受け答えができなかったことが悔やまれます。いつどんなときも、イエス様の愛を伝えることができるよう、日々祈りの中で心の準備をしておかねば、と思った出来事でした。
 みことばの種まきを待つ土壌はそこかしこにあるのに、見過ごしていることも多くあるのかもしれません。みことばの種を、常にふところに忍ばせておきたいものです。
 
イエス・キリストは御父の宣教者
2017-09-01
イエス・キリストは御父の宣教者(ブラジル修道院)
 
 教会は常に宣教を続けています。イエス・キリストは御父の宣教者です(ヨハネ20・21)。ですから、教会は、本質的に、その行動と言葉を通してイエス・キリストのメッセージを人々に伝えています。アパレシーダの教書も私たちに「人々、家庭、共同体、民の出会いに向かって、キリストとの出会いの恵みを告げ知らせ、分かち合うために出発する」(アパレッシーダ教書548)よう私たち宣教者に問いかけています。現在、私は6か月、高齢者への奉仕のため、純心デイケアセンター聖母の家におります。普段は受付・事務の仕事をし、病気の姉妹を病院へ連れて行くため、車を運転しながら付き添いも行っています。
 聖母の家にいる時は、高齢者と接するように努め、彼らの世話をし、帰宅前のロザリオの祈りも一緒にしています。家族が高齢者を迎えに来るまで、日々の生活について彼らと会話し、彼らの生活を知るようにしています。
 一部の人たちは記憶力もあり、自分の生活を話すことができますが、大半の人は記憶障いつも話したり聞いたりすることを、あたかも初めてのように繰り返しています。先日、「喜びの使徒勧告」について講演を聞く機会がありました。「家庭内の愛」について、神はどれほどの忍耐をもって私たちを愛しておられるか、愛は寛容なものという講話でした。祈り、情け深さ、素朴さを小さな行いを通して知らせて行けますよう願っています。父なる神の無償の愛について感謝を忘れず、高齢者に奉仕していきたいものです。教書の中の高齢者の項で、「年老いたときに、私を拒絶しないでください。また私に力が無くなった時に、私を見捨てないでください」と書かれていました。高齢者が自分の共同体のなかで、尊敬され、感謝、歓待されるよう共同の意識を保つよう力を尽くしたいと願っています。
 
高齢者に優しい
2017-07-01
高齢者に優しい (鹿児島修道院)

 鹿児島市民になって4年目になります。鹿児島市福祉行政のいいところは、老人に優しいところです。その最たるものは、70才以上の高齢者への交通費の割引制度です。こんなに大きい丈夫な私なのに、子ども料金より安くバスや電車を利用できます。いいのかなあと申し訳なく思いつつも、私はこの恩恵をフル活用して病人訪問に出かけます。
 鹿児島大学病院には、川内純心高校の卒業生のご主人(43才)が急性骨髄性白血病のため長期間闘病中です。厳しい抗癌剤治療が続いています。病人本人はもちろん看病する側も先行きのわからない展開に疲弊しきっています。このような時、どんな言葉があるのでしょうか?言葉を選ぶのに慎重になります。でもあるのです。一番いいのは祈りです。信者でいらっしゃるので、ロザリオを一連、一連、一緒にゆっくり静かにとなえます。たったこれだけで何もできないのに毎週水曜日の午後の出会いを楽しみに待ってくださっているのがうれしいのです。ちなみに純心学園前のバス停から大学病院まで片道60円です。
 今給黎病院には、一人暮らしの信者の女性の方が入院中です。鹿児島駅の近くなのに電車だと純心学園前からなんと50円です。本当に格安料金でみ言葉を携行できるのです。タクシーは、割引料金がないので一切利用することはありません。もっぱら電車とバスのみ。足も体も丈夫ときているのでどこまでも行くことができます。今のところ自分のことで病院にお世話になることはありませんが…。でも本当に思います。病気の方々の犠牲に比べ私のそれなどはなんととるに足りないちっぽけなものなのかと。自分の生半可な生き方にあらためて気づかされる時でもあります。
 老人施設に入所されている100才を超えられた元ご父兄のお年寄り、少しお体が弱くなられた恩師等、東奔西走とは少し大げさだけど訪問を続け、病気や老齢の方々とのしばしの友となるべく寄り添える時間をこれからも大切にしていきたいと思っております。これもすべて鹿児島市福祉行政のおかげです。
 その他、月1、2回のお母様方との聖書の学びもあります。こんな私でも神さまの促しにそってみ言葉とともに生きる道をこれからも模索していきたいと思います。
 
みことばを語ること
2017-06-01
みことばを語ること(小野田修道院)
 
 「気を紛らわせるために、聖書を書き写して暗記するようにしています。」服役中に母親を亡くした受刑者の青年Sさんが、亡き母のために祈って欲しいと、個人面会を依頼してきた。小さな面接室で一緒に祈った後に、先程の話をしてくれた。母を支えにして生きてきたSさんは、まだショックから立ち上がれずにいた。その悲しみを忘れるために、図書棚にある共同用の聖書を週3日間借りては書き写し、後の4日で暗記する。それを繰り返しているというのだ。私は彼の話を聞きながら、聖書を差し入れしようかと迷った。しかし、即座にその考えを否定して、「大きなお節介だ」と自分に言い聞かせた。自分用の聖書を持つのが当たり前の私には、聖書を丸暗記するというSさんの行動が本当に驚きであったが、神のなさり方にふれて温かい気持ちにもなれた。
 小野田に来てしばらくたったころ、イエズス会の神父様から教誨師の誘いを受けた。人手が足りないので手伝ってほしいとのこと。ちょうどそのころ、私は修道者の存在の意味について考えた末、大切なことに気づかせてもらっていた。「みことばを語らなければ…」と。そんな時の誘いだったので、私はこれをみ旨と感じて応えることにした。8年前のことだ。あれから毎月、車で一時間の距離を美祢社会復帰促進センター(刑務所)に通い、10数名のグループで聖書の分かち合いをしている。私が話すというより、私の口を使って神が語ってくださる。そう思えるようになってきた。「語る」ための準備をしている時、あるいは聖書の分かち合いの間、受刑者と一緒に「主の祈り」を唱える時、そして、彼らの辛さや不安に黙って耳を傾ける時に、私は確かにより間近にイエスと出会えているのだ。
 先日の分かち合いの後で、Sさんが穏やかな顔で質問してきた。「主の祈りの場面は聖書の中に2か所あるのですが…。」と、聖書の箇所が彼の口からすらすらと流れ出るではないか。咄嗟の彼の問いかけにオロオロとしながらも「投げ出さないで頑張っているな」と嬉しくなった。刑務所の塀の中でも、神は自由に働いておられるのだ。いま、「みことばを語る」喜びが私の中にある。ただただ感謝である。
 
神様や聖書について何でも聞いてみよう
2017-05-01
神さまや聖書について何でも聞いてみよう  (三ツ山修道院)

 「神様や聖書について何でも聞いてみよう」と呼びかけるポスターが学内の数か所に掲示されている。カトリック学生の会が主催している企画で、シスターや信者の先生数名がそれぞれのテーマを持って学生を募っている。宣教の一環として私も何かできればと思い名前を連ねてはいるものの、待てども、待てども学生が訪ねてくる様子はない。どうしたものかと思案していると、タイミングよくゼミ生を担当することになった。
 私の担当するゼミ生はモンテッソーリ教員を目指す学生で、半数以上の学生がカトリック系の幼児教育、保育現場に就職していく。しかし、ゼミ生の中で信者は1パーセントいればよい方である。学生は大学でキリスト教についていくつかの講義を受けているが、本人たちも十分理解できていないことを自覚しているため、就職後、日々の保育の中で行われる、お祈りや宗教行事等に対する不安を抱いている様子が伺える。そこで、4年生の後期に週1時間の勉強会をやってみようと思い、ゼミの4年生に自由参加ということで呼びかけた。昨年3回目の勉強会を行ったが、いずれも8割以上のゼミ生の参加があった。
 勉強会の内容は園で行われる宗教行事を踏まえて、教会暦について、教会の建物内の説明や意味について、旧約聖書の振り返り、お祈りについて、聖母マリアについて、宗教行事に向けての準備のあり方などである。「講義で習ったはずだけど」と言いながら聖書の内容や人名を質問すると、苦笑いをする学生、張り切って答える学生など様々である。時にはとんちんかんな答えをして、皆で爆笑することもある。学生からは、「意味が分かった」、「整理ができた」などの声も聞かれるので、少しは役に立っているようである。終わりにはお茶をして和やかに過ごし、あっという間に1時間が過ぎていく。
 モンテッソーリは幼児期に「宗教を感覚的に理解する鋭い敏感期があることを知りました」と述べている。環境から多くのことを吸収する幼児期に宗教的環境を整えることができる保育者であってほしいと願っている。就職後、彼女らがこれまで学んだことを、保育者として少しでも日常の園生活の中で子どもたちに伝えていくことができるようにと祈りながら、今年も10名のゼミ生を送りだした。
 
私の宣教活動
2017-04-01
私の宣教活動について (シスターI)

 宣教の目的と手段は、音楽を通して、救い主イエス・キリストを伝えることである。    
具体的にはカトリック教会固有の聖歌、グレゴリオ聖歌で、月に二度の集まりでは、その音の流れとラテン語テキストとの一致を示す、いわゆる古(こ)ネウマと称するものの指示に基づいて歌うことである。                           
では古ネウマとは何かというと、ネウマ(記号)の古い形で、写本に記されたテキストの流れを示すために、その上に記録されているのであるが、単音符から集合音符あるいはその多様な組み合わせに至るまで、実に詳しく聖歌の心を伝える記号のことである。単にネウマというと記号にすぎないが、これにギリシヤ文字のプ(霊、気、風)をつけてプネウマとすると作曲した人の心を表すことになり、意味がいっそう深められる。
 勉強会に集まるメンバーは25名で、その大部分は旧短大音楽科の卒業生で、子育てが終わったから、音楽の本質をもう一度学びたいと言ってやって来てくれている。
 ここで深く思い起こすのは、恩師・K先生の存在である。先生は東京芸術大学音楽部の名誉教授、シスター江角の願いによって旧短期大学音楽科の第一代科長となられ、音楽と信仰の両輪を以って生きることを、身を以って教え込んでくださったのである。 神に感謝!
 
世界平和を願って
2017-03-01
世界平和を願って(ブラジル修道院 シスターA)

 ブラジルに派遣されて26年になる。クリチバ市は人口が増え、修道院の周りには高いビルが次から次へと建設されている。ブラジル経済が悪化し、失業者が多く路上生活者が増えてきた。ブラジルの北から、また田舎から都会へ、外国人も仕事を求めてやってくる。特にハイチ、アルゼンチン、チリなど、昨年は「いつくしみの特別聖年」でクリチバ教区も力を入れ、各教会、修道会がいつくしみの実践に励んだ。カルメル会修道院と信徒で毛布6千枚を購入し、それを貧しい家庭、路上生活者に配付した。
 またカトリック教会の司祭とプロテスタントの牧師でグループをつくり、食糧、寝る場所を提供、貧しい人々への声を聴くために出かけて行って援助している。一般の人たちもパンや食料を購入して、路上生活者にあげているのを見かける。ブラジルのニュースは悪いことばかり放送されているが、ブラジル人は単純で明るい、話好きで、すぐ友だちになれる。バスに乗るとすぐに席を譲ってくださる。身体に障がい者への配慮、目の不自由な方へ手を貸すなど、身近で心温まる思いを感じることが度々ある。
 職員のなかにハイチから働きに来た一人のお母さんがいる。家族をハイチに残し、仕送りをして頑張っている。昨年、純心幼稚園では110人の園児がいた。日系人、ブラジル人の子どもたちがほとんどであるが、その中に日本、インド、レバノン、中国、シリアの子どもたちも交じっている。各家庭ではそれぞれの国の言葉が話されている。言語、文化が違っていても子ども同士ポルトガル語を話し、お互いに助け合い、思いやっている姿を見るのはとても微笑ましい。この小さな輪が家庭、社会に広がり、世界平和につながるよう願いたい。
 
神さまの家
2017-01-01
神さまの家(佐世保修道院)
 
 今、教会と幼稚園の奉仕の場で、私が感じていることや様子などを少しだけお伝えします。
 
神さまの家 ―
夜明けの空に暁の星
その輝きの下で一日が始まる
薄暗く寒い道を3姉妹で歩く
しかしその心は明るく温かい
なぜなら主が待つ教会で
信徒とともに祈るから
ここは神の家 神の家族
 
司祭は招くみ言葉へ
神の思いが司祭を通して語られる
昨日も 今日も また明日も
主のみ言葉とご聖体
ミサで味わう神の愛 
ここは神の家 神の家族
 
司祭は牧者 一日中
羊の群れの世話をする 
牧者の香り漂わせ
あちらに病み伏す人あれば
こちらに憂える人あれば
時を移さず動き出す
「主はともにいる」「愛されている」
「だいじょうぶ・・・」
いつでも どこでも 誰にでも 司祭が口にするのは同じ言(こと)
人は癒され慰められて強くなる
神への信仰 胸に秘め
ここは神の家 神の家族
 
子羊(信徒)は 持てる力 それぞれに
ひろば
あれやこれやと分かち合う
ある人、勇気を出して挨拶を
ある人、コーヒー「ハイ、どうぞ!」
ある人、小麦粉かきまぜて
幼い子どもにクッキーを
配って広がる笑顔の輪
ここは神の家 神の家族
 
ある人は 
老いて手に持つロザリオと
黒ずむ祈祷書めくりつつ
神の家族の祈り込め
人目につかない愛の奉仕を
ここは神の家 神の家族
 
「おはよう」「元気?」「遊ぼうよ」
イエスのみ心伝えつつ
86年の歩み持つ
ここは聖心幼稚園 マリアの畑 
神の庭
 
多くの姉妹 卒園児
神の恵みを歩み来て
振り返れば いつも支えあり
聖母の畑であればこそ
今もいつも 最後まで 
お守りください 母マリア 
 
私の宣教
2016-12-01
私の宣教(小野田修道院)
  
 私は、所属する北若山教会の教会学校で、小さな宣教のお手伝いをしています。そのことを少しお話したいと思います。この3月までは土曜学校でしたが、日曜日のミサ後が参加しやすいとの理由から「教会学校」と名称を変えて、毎月2回、第1・第3主日のミサ後に行なっております。指導者は現在は、はからずも参加する子どもたちの母親4名が担当しています。
 長年、土曜学校の責任者としてご奉仕くださった方が、そろそろ若い信者さんにバトンタッチして、若い力と発想で教会学校を盛り上げていただき、それがさらに希望に溢れる活気ある教会活動につながることを考え、お譲りしたのでした。担当のお母様は教会学校のある日は、ミサへの参加も積極的で心のはずみを感じます。
 参加する子どもは現在13名。他の教会学校では考えられないと思いますが、何と母親に抱かれている1歳児も、一員として名簿に記名されています。
 組み分けは、①赤ちゃん組(1・2歳)3名 ②幼児組(3~5歳)3名 ③初聖体準備組(小1・2)3名 ④学童組(小3以上)4名
 赤ちゃん組はもっぱら遊び。泣いたり笑ったり、時にはつかみ合ったり、おもちゃを取り合ったり、とてもにぎやかなひと時。ここ北若山教会は、子どもが生まれると、教会学校の人数が増えたと大歓迎されています。
 私は、初聖体準備組をいただいております。少人数だけに、お話しは静かに上手に聴いてくれます。日曜日のミサ後なので、集中は長くは続きません。子どもの状態に合わせて早めに切りあげ、各自のノートにその日の話のポイントをメモさせ、まとめを話して終わっています。日によっては、なぞなぞのゲームや折紙を折って楽しむこともしています。
 子どもたちが教会学校によろこんで参加し、どんな時にも神さまから愛され、大切にされていることのよろこびを少しでも感じて生きていけるよう、教会学校のお手伝いを大切にしていきたいとの思いで、今を過ごしております。
 
聖書深読法
2016-11-01
聖書深読法(西町修道院)
 
「何を歌いましょうか… 歌える歌がいいですね」  手作りの聖歌集の中から探します。「30頁の歌はどうでしょうか。」「歌えそうですね」
「聖書の箇所はヨハネ19章25節から27節までです。」メモ用紙が渡されます。「では 始めましょう。」祈りと歌で始まります。
 毎月第3土曜日、浦上の純心宣教センターでの聖書を中心とした祈りのひとときです。10時30分より約1時間、カルメル会の奥村神父様による聖書深読法の最初のほんの一部をしています。
 指示された福音書のなかの数節をゆっくりと読み、今、自分に語られる主のみ言葉を深く味わい、分かち合っていくのです。指定された聖書の箇所を参加者が 1節ずつ、順にゆっくり朗読します。読み終わったら、その箇所を全部ノートに書き写しながら静かに黙想し、間を置きます。配付されたメモ用紙に感激した所、心に触れた所など を2、3か所マークし、全体の印象を短い言葉で記し、提出します。一覧表に記入しコピーして配付。分かち合いに入ります。分かち合いでは、何故マークしたのか、自分が感じたこと、思ったこと等を話し、他の人が話している時は耳を傾け聞くことに徹します。批評や討論等は致しません。分かち合いが済んでからの「解読」は、神父様の著書でその時に読んだ聖書の箇所に関連している部分を読みます。しばらく心の中で思いめぐらし、共同祈願があれば致します。歌又は祈りで終わります。
 その後、お茶をいただき、来月の予定日を確認して帰ります。聖書深読法について、カルメル会の九里神父様は(分かち合いの手引き)で次のように述べておられます。「『私の名のもとに二、三人集まるところに私はいる』共に祈りながら、み言葉に耳を傾ける時、聖霊が働くのでしょう。ピクニックでお弁当をひろげているような感じです」と。
 分かち合いでは神様の大きな手に包まれて、楽な気持で感じたままを話します。他者に心を開き、分かち合う交わりのなかで、何かが心に響きます。他者に働かれる神様の恵みといつくしみに、み言葉のひとことに心をうたれます。それが水の雫となり、落ちて心と身体にしみてくるように感じられるのは私だけではないようです。
 参加する度に驚きます(神様は不思議なわざを行われると。) 「神様、あなたがなさることです。すべてをお任せ致します」そのような気持ちで帰途につきます。聖書を読みながらの祈りのひととき どなたでも、どうぞいらしてください。
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