修道院こぼれ話
殉教者の信仰を繋ぐ
2019-03-01
「殉教者の信仰と繋ぐ」(島原修道院)
①「ここに住んで…」
修道院前の奥様と挨拶を交わすようになった。復活祭には卵を、クリスマスにはクッキーを届けた。一人暮らしの話し相手になる。「ここに住んでいただいてありがとうございます。時々子どもが帰って来ます。シスターさんの姿を見ると、心が洗われ、幸せな気持ちになります。元気をいただいております。」と、思いがけない言葉だった。宣教地で3年を経て、何をしたらよいのか、迷う中での出会いだった。
修道院前の奥様と挨拶を交わすようになった。復活祭には卵を、クリスマスにはクッキーを届けた。一人暮らしの話し相手になる。「ここに住んでいただいてありがとうございます。時々子どもが帰って来ます。シスターさんの姿を見ると、心が洗われ、幸せな気持ちになります。元気をいただいております。」と、思いがけない言葉だった。宣教地で3年を経て、何をしたらよいのか、迷う中での出会いだった。
②「洗礼を受けたいのですが…」
昨年の暮れから教会を訪れるようになった3歳の女児と母親が、日曜日のミサに参加するようになり、そして「洗礼を受けたいのですが」と、母親だけが受洗の勉強を始めることになった。また、転勤家族でカトリックでない父親だけが受洗の準備に入った。12月には久しぶりの幼児洗礼があり、信徒たちの大きな喜びとなった。
「草取りを手伝います.市役所を退職した卒園児です」、「シスターたちは柿を食べんじゃろうかい」、「大根です」と玄関に立つ男の子。
地域の人たちの厚意を受け、島原の殉教者たちへの思いを深める日々である。
昨年の暮れから教会を訪れるようになった3歳の女児と母親が、日曜日のミサに参加するようになり、そして「洗礼を受けたいのですが」と、母親だけが受洗の勉強を始めることになった。また、転勤家族でカトリックでない父親だけが受洗の準備に入った。12月には久しぶりの幼児洗礼があり、信徒たちの大きな喜びとなった。
「草取りを手伝います.市役所を退職した卒園児です」、「シスターたちは柿を食べんじゃろうかい」、「大根です」と玄関に立つ男の子。
地域の人たちの厚意を受け、島原の殉教者たちへの思いを深める日々である。