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神さまのひろば

★神様のひろば★

神様っていいね!
2016-09-01
神様っていいね! (鹿児島修道院)

 「神さまっていいね!」「聖書っておもしろい!」こんな言葉が生徒の口から飛び出ると心の中で思わずガッツポーズをとります。宗教の授業を本格的に始めて3年。試行錯誤の毎日。年間を通してある宗教行事と学校行事に時には追われ、ともすれば授業研究に割ける時間が少なくなり、ため息をつくこともあります。やるべきことの優先順位は?誰のために何のためにやろうとしていることなのか?授業で伝えなければならないことは?など自問自答の繰り返しです。それでも何とか授業を終えた後に「神さまって」の言葉を聞くと本当に嬉しくなります。そしてこの言葉は、創世記1・2章を勉強したあとによく聞かれることに最近気づきました。
「神は、ご自分にかたどって人を創造された。…神は、お造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めてよかった。」(創1・27~31)
 人とは、神さま自らが土をとり、一人ひとりを大切にご自分で創られ、そしてそれをご覧になって「極めて良かった。」と自慢げに話された存在。それがあなた自身であること。それを実感してもらうために事前に記憶にないころの私、つまり生まれたころから3歳くらいまで自分がどんな子どもだったかを親、祖父母、叔父叔母などできるだけたくさん対面で聞いてくるように宿題を出します。しかも自分が「へぇ、いいな」と思ったことだけを記録する宿題です。「よく泣く子どもだった」「お気に入りのおもちゃを離さなくてね」など、懐かしむような愛おしむような表情で話してくださることに耳を傾けてもらいます。何もできなくても、どんなことをしてもかわいくてしょうがない。そんな自分があったことを知ってほしいのです。神様もそんな思いであなたを創り、今のあなたを見守っている。聖書にふれ自分の過去にふれ、今生きる自分自身が存在するだけで価値があることをあらためて感じてほしい。そしてそれを感じた瞬間、生徒の表情が変わります。かけがえのないたった一人の存在である自分を実感できたそのときなのです。
 そこで、「そんな自分に言ってはいけない言葉は何だろう?」と質問することにしています。大体は、「死にたい」「駄目な自分」など。答えは「どうせ私なんて。どうでもいい」と投げやりな言葉です。弱い自分や情けない自分、やり場のない怒り、理不尽なできごとに出会うと自分に言ってしまうのです。「どうせ私なんて」と自分で自分の価値を決めてしまいます。でも本当は違うはずです。自分の価値は、自分が定めるものでなく、命を与えて下さった方がすばらしいと言ってくださったのだからこそ信じて生きることが大切なはずです。
 これからも生徒たちと一緒に聖書を読みながら「神様っていいね。」と言える時をたくさん作り、ともに神さまの思いを感じたいと思っています。

純心聖母会
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TEL.095-848-2241
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