純心聖母会は、長崎大司教区に本部を置く聖母マリアの汚れなきみ心に捧げられた教育と社会福祉の使徒的活動を行う聖座法の女子修道会です。

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純心聖母会
〒852-8142
長崎県長崎市三ツ山町415
TEL.095-848-2241
FAX.095-843-7570

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021610
 

福 音 宣 教 の 小 道

 

★神様のひろば★

★神様のひろば★
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父に寄り添って
2015-10-01
父に寄り添って (シスターA)
  
 どげなごとがあってもニコニコ。認知症、重くはないが、いま言ったことをすぐ忘れ、また同じことを繰り返す。
 性格にもよると思うが、症状もいろいろだと実感している。同じことを言うのを数えてみると、一日100回以上は言っている。こうなってくると体力と精神力(忍耐)が必要となる。これをありがたく神様に委ねると楽である。現実を受け入れることである。
 ワクワク楽しくしていくことがポイントだ。昔のことはよく覚えているため、相手の「昔」にタイムワープさせていくことも大事。ここで己れを無にすることができるかがミソである。己れを無にすることは、自分の感情や気持ちを認めつつ、一息入れて相手のために時と場を提供すること、神様に「間」にはいってもらって、神様の手の中に自分をそのままお任せする。そうすると相手の気持ち、世界に身をおくゆとりが生まれ、相手との共感、共有の世界が誕生する。己れが無であれば、どのような相手にも合わせられるのでいやなことがなくなる。相手の昔を引き出して、脳を活性化させる。笑うことは自律神経のバランスもよくなり=体も心も元気になる。
 何があっても笑うことだ。作り笑いでも、良い笑いでなくても笑うことだ。今日もテーブルの上で、アリがご飯粒を一生懸命運んでいた。冬に向かって自然界は、それぞれが与えられた場所で精一杯生きている。誰から何も言われなくても、黙々と神を賛美している。そのアリの動きを見つめながら、米粒をどこに運んでいくのか、他に手伝いがやってくるだろうか、手伝ってやろうかなどと二人で会話しながら指先でトントンしながら笑った。
 台風で鳥小屋の屋根が飛ばされたが、そんな時でも卵を産んでいる。素晴らしいと思う。停電が五日間続いた。電気がなかった昔を思い出し、父との会話に花が咲いた。落ち着いた昔話ができるたびに、いつかは神様のところに帰らんといかんことを私は意識して話している。
 神様からいただいた身体、少しずつ神様に返していこう、神のもとに帰るその日まで。キリスト様もそうであったように、すべては神様から来ているということを何度も何度も言い続けている。同じことを何度も繰り返す父と同じように。今日も秋風がそよそよ吹く中、実りの秋、宣教の秋であり、秋代である。
 
毎日のミサ
2015-09-01

毎日のミサ (広島修道院)

 毎日のミサでともに集い、主の食卓を囲んで賛美と感謝を捧げ、寒い日も暑い日も小聖堂でともに捧げるミサは霊的な糧となり、一日のスタートの大きな喜びの力となっています。
 信徒の高齢化に迫られ、私たちの宣教活動も広げられる時、可能な限りの奉仕をして宣教の実りを願っています。
 日曜日はミサに続き、初聖体の準備の勉強会をしています。私が忘れていても、子どもたちは熱心に参加します。午後は祇園から40分離れている可部教会のミサに参加します。月に2回、集会祭儀の司式をしますが、イエス様のみことばを伝えるよい機会が与えられていると感謝し、準備して出かけています。
 日々の宣教の機会を意識しながら、新たな心と姿勢でよりよい実りを願いつつ、今日も努めています。

 
奉献生活者年を生きる中で
2015-07-01

奉献生活者年を生きる中で (ときわ荘修道院)

 恵の丘での日々、初夏を迎え窓から自然を眺めるとき、創世記のはじめの神のみ業に心の目が導かれる思いである。神は天から降って地に身をかがめ、生かす息吹で地に諸々のいのちあるものを作ってくださった。木々の装い、小さい草花、飛び交う小鳥たちのさえずりすべてが、神のみ業をたたえている。
 立誓61年目を迎え、今こそ神から預かったたくさんの恵みの実りを奉献し、周りにも証しすることを、真に喜び、感謝を捧げたいと努めている。
 教皇様は、「出向いて行きましょう。イエスの命を指し示すために。」と呼びかけられる。出向くのに困難を感じる今、聖母とともに主のみ心の愛の寛大さ、深さを味わい、本物の奉献の姿を周りにも示すことが出来るよう努めたい。いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい・・・と、体全体で喜びを表しておられたコップ神父様の姿を思い出す。
 出来なくなっていくことに目が向きがちな中で、神が蒔いてくださった種子(宝)に、目を向けるように努めている。最近、よい本と出会った。『「神に聴く祈り」祈りのガイドブック』(マラキー・ハンラッティ著、女子パウロ会)である。
神は、この本から、私が言いたいことを聞きとりなさい!!とのメッセージを贈ってくださったとの思いで、今、味わっている。
 毎日、「よかったことをふり返る」という祈りの仕方である。神が絶えず、私に与えてくださっている「良いこと、良かったことを、もっとはっきり見せてください。」と受け身の姿勢で神からの働きかけを待つ、きく、祈りである。
 主は、聖ファスティナ(愛の秘書)にも、ご自分の人々に対するいつくしみの思いを伝えてほしいと望まれた。やもめの賽銭に心を留め、どんな小さい奉献も心から喜び、受け入れてくださる主に、心からの感謝を捧げたい。小さいステンドグラスになって。
 

 
ロザリオの信心
2015-06-01

ロザリオの信心 (ブラジル 聖母の家)      

 「会員だより」に記事を掲載してほしいとの知らせを受けた時、私の頭に、いろんな考えが浮かびました。その中で、一番強く感じたのが、老人方と祈っているロザリオの祈りでした。利用者の方々、その家族、訪問者など、毎日関わる日々の最後に、ブラジルで一番知られている、ロザリオの祈りを通して、一日を感謝しています。
 たとえ、どんなに歳を取っていても、また、アルツハイマー、パーキンソン、そのほかの認知症の病気の方でも、深い信心と心からの、ロザリオの祈りは、ほとんどの方が、「アヴェマリア」と祈ることができます。
ロザリオの祈りは、幼い時からの信心で、その祈りの中で、キリストの生涯、誕生、生活、死、復活の玄義を深く、黙想できます。
 時々、チャペルに入るのに、帰宅前ということもあって混乱することがあり、それが静まると、私もほっとします。ほとんどの老人方は一日で一番大切な時として、平和のため、守り導びいてくださるために祈ることを知っています。本当に病気から来るさまざまの限界・困難の中で、いろんなことが解らなくても、祈りの間、その困難さを見せたことがありません。これこそ、驚くべき事で、感謝と、恵みです。
 「ロザリオの聖母、わたしたちを助けてください」

 ロザリオに関するヨハネパウロ二世教皇のことばを、いくつか紹介します。
「ロザリオの祈りは、人々に多くの恵みをもたらします。」
「ロザリオは、私の敬愛する祈りです。素朴な深みのある素晴らしい祈りです。」

 
神さまの懐は広く深い
2015-05-01
神さまの懐は広く深い! (ベタニア修道院)
                      
 ある日、気がついた。一人の小学生がミサの侍者をしているが、本人だけが信者であるということに疑問を感じた。しかし毎日曜日には熱心に侍者に励んでいる。そこで聞いてみた。
「あなたの家族はみな信者ですか。」
「いいえ、ぼくだけです」
「お母さんは教会に来ていますか」
「はい、後ろにいます」
「シスターは、お母さんにご挨拶したいのですが」・・・
「ごめんなさいね。お尋ねしてもよろしいですか。坊やが一人洗礼を受けられておられるのですか」
「はい、実は聖也がどうしても洗礼を受けたいと言って、神父様に相談したところ、お母さんが子どもの信仰を守ってあげられますかと言われて、その約束で洗礼の恵みをいただいているのです。」
「そうですか。お母さんは今すぐに洗礼とはいいませんが、カトリックの勉強をしようとは思われませんか」
「実はそのことを考えていた所なんですが」といわれる。
「では、神父様にご挨拶しませんか。」
 その後、「シスターがみてやりなさい」との許可をいただき、一月から始め、仕事の合間を上手に使って、それは熱心に学ばれた。
 ところが3月に私の異動の知らせを受けて、神父様にその旨を伝え、お渡しして勉強を続けることにしていたにも関わらず、4月に入ると、「神父様から続きをシスターにみてもらってよろしいとのおゆるしをいただいたのでお願いします」との連絡がはいった。遠くから毎週、三ツ山まで通われたが、9月に入ってやむを得ない事情で、教会の主任司祭にお願いして要理の勉強を続け、今年の復活祭に次男と一緒に洗礼の恵みをいただいた。感謝!
 神さまのはからいは豊かで時と場所にこだわりなく、その導きはすばらしい。
 
新しい恵みの場で
2015-04-01

新しい恵みの場で (マダレナ修道院)

 「シスターですか?よかったー。シスターと同じ部屋で。」「シスターがいてくれて嬉しい。私は長与の信者です」等々、入院のたびにかけられた言葉である。シスターというだけで喜んでくださる信者さんたち。
「ご聖体です。」お忙しい中、足を運んでくださる神父様。司祭という存在だけで病気の信徒にとっては心の拠りどころとなる。「奉献者のいるところに喜びがある」教皇フランシスコの言葉が思い浮かぶ。
 「シスターさんですよね。主人はカトリックですが、教会に行ってないんです。でも葬式は教会がいいみたいで。無理でしょうか」
「大丈夫。教会は受け入れてくれますよ。」早速、司祭に連絡を取り、40年振りでゆるしの秘跡を受け、教会に戻られたFさん。
 お見舞いに来てくださったKさんが突然口を開く。「シスター、私たち夫婦のために祈ってくれんね。別れようと思ったけど、やり直してみるけん。病気を捧げる目的がまた一つ増えた。
 ご聖体をいただく日、信者数名が私の部屋に集まってくる。同室の患者に迷惑かもと心配したが、「熱は下がったね?無理せんとよ」など、互いに励まし合い、明るく語らう姿に「仲のよかね。一緒にいれてくれんね」と好評で、そのうちに「教会に行ってみたいね」「クリスマスに教会に行けるの?」「行けますよ。ぜひ行ってください」ということで、浦上教会のクリスマスミサを紹介。数人の看護師さんと外泊した患者さんとそのご家族の方々がミサに参加し、喜ばれた。
 高熱で笑顔も出ず、薬の副作用で祈りに集中できず、文字だけを追う日々の中で宣教などできようかと考えていたが、シスターという奉献者としての存在そのものが宣教であることを実感させられた日々であった。
 現在、私は通院治療中だが、入院中に知り合った数名の信者さんたちとグループを作り、互いに祈り合い、通院の折に病室を訪問し励まし合う活動を続けている。病気という新しい恵みの場をくださった神様と、治療の時をくださった修道会に感謝しながら、自分にできることを実践し、恵みの日々を生きたいと願っている。
 

 
種まき
2015-03-01
種まきの話 (八王子修道院)
      
 東京純心は、滝山自然公園に囲まれ、四季折々の校庭の樹木や草花などの自然環境に恵まれている。このような自然との関わり、朝礼や授業、行事、シスター方との関わりを通して学生、生徒たち、そして来訪される方々に福音の種が蒔かれている。

〔種まきのお話〕
 本校の庭に樹高40〜50メートル程 の、そびえ立つメタセコイアの木がある。春には新緑の美しさ、夏には木陰を作り、秋の紅葉のあと、種は風に吹かれあちこちに運ばれる。ある日のシスターと生徒の出会いがしらの会話である。
S   あら、こんな所に芽が出ているわ…
生徒 ・・・かわいい!
S   少しの土なのに、すごいわね。
生徒 聖書に種まきのお話がありますよね?・・・
S  (さすが純心生、感動!)

 学生・生徒たちだけでなく保護者や卒業生にも、時間の都合をつけて姉妹たちは宣教に励んでいる。私は月一回、木曜と土曜の2グループ、中学1年から高校1年までの保護者対象に「聖書の会」を実施している。正直なところ、あまり準備ができないで当日を迎えることもある。しかし聖霊の働きと参加者の熱意に駆り立てられて、福音の喜びを伝えるように努めている。典礼暦、学校の歴史や宗教行事なども織り交ぜて行っている。会の最後の方に、ティータイムを取りながら、まずはそれぞれの思いを分かち合い、散会する時間も忘れるほどいろいろな話題で盛り上がる。このような時間が貴重な交流の場でもあり、さらに恵みを増し加えられる神様の働きを実感させられる。

 「小さくても、すればそこに何か生まれ ます。人を喜ばせることができます。」
この初代会長様の言葉の深さが心に響く。初代会長様の熱い思いを心に留めたい。また奉献生活の特別年に教皇フランシスコは奉献生活者に熱意をもって誠実に生きるように求めておられる。宣教への熱意を新たにし、福音の喜びをともに分かち合うことができますように願いつつ。
 
天国の待合所
2015-01-01
天国の待合所 (ときわ荘修道院)

   「ときわ荘は天国の待合所ですね。」利用者A様のご家族の言葉である。高齢者施設で、信者が多く、天国に行きたいと待ち望み、互いを励まし祈り合っている雰囲気が漂っているからだという。
 A様との関わりの中で忘れられない思い出がある。A様はいつも不具合を訴え、「どうして神様は早く天国に連れていってくださらないのかしら」と口癖のように言われていた。「捧げなければと思うけど、辛くてどうしようもない」と言う。どのように声をかけるべきかと迷うことが多いのだが、その日はミサの説教を分かち合った。
 ある人が亡くなって天国に行った時、天使が待っていて、天国の住まいに案内してくれた。大きな立派な家の近くに来ると「あれが私の家だ」と思ったが、通り過ぎてしまった。しばらくするとまあまあ良い家が見えたが、そこも通り過ぎた。最後に辿り着いたのは、小さな貧しい家だったので、天使に文句を言うと、「あなたが地上から送ってくれた材料では、これが精いっぱいだったんです」と言われたというたとえ話である。すると、「その話なら知っているわよ。あの本に載っていたと思うんだけど」と、ぱっと目を輝かせ、生き生きとした表情を見せてくださった。「捧げることは辛いこともあるけど、少しでもお捧げして、たくさんの材料を天国に送っておかないとね。天使から材料が足りなかったって言われないように・・・」その日からA様が辛くてたまらないという時に、この話をしてはお互いに祈り合おうねと声をかけるようになった。その度にA様は微笑み頷いておられた。
 私はこれまで、信者として強い信仰を持ち、人生の大先輩にある方に対して、また人生の最期にさしかかろうとしている方々に、どのように関わればよいのか考えてきた。古い信者であるほど病気を患ったりすると悲観的であるように感じる。その気持ちが大きくなると、信仰さえも揺らぐ場合もあるようだ。また、死に対して大きな不安を抱えている方も多いように思う。
 私はA様との関わりの中で、その方が神さまの存在を忘れそうになった時にこそ、利用者の気持ちに寄り添い、ともに祈り励ましあうことが私にできることではないかと気づくことができた。また祈り合い、励まし合う仲間がいることの大切さも学んだ。仲間同士で、時には叱咤激励しながら、良い最後を迎えることが準備をしている姿に触れると、本当に「天国の待合所」という言葉はふさわしい。これからも利用者様との関わり一つひとつを大切にしながら、「天国待合所」で、私にできる宣教の使命として果たしていきたい。
 
神様の抱擁を運ぶ
2014-12-01

神様の抱擁を運ぶ (ブラジル サンジェロニモ)                   
 
 教会の教書、奉献者への回章「喜びなさい」No14が語るように、「昨今、人々に必要なことは言葉ですが、特に心を暖め、希望を目覚めさせ、善へ引き寄せ
  る主の憐れみと優しさを証することです。神のなぐさめへ運ぶ喜びです!」
 10月宣教者の月に、宣教者として神様の抱擁を運んだ時のことです。その日はアパレシーダの聖母のお祝い日、また子どもの日でもあったのでサン・ジェロニモの共同体全員で約15km離れた農地改革で土地をもらった人たちの所へ、会の紹介をしながら召命を探し、ともに祈る目的で子どもたちのための小さなプレゼントを持って行きました。会の紹介のDVDを映すための機材の準備を行い、試しに映そうと思ってコンピューターの中のファイルを探しましたが見つかりません。そこで、この集まりを計画し準備していた女の人たちと話したところ、毎年行っているこの集まりは、各々持っている宗教を超えて共に準備し働くことで、この共同体に属している家族間の絆を強め活気づけるためだということでした。実際見たところ、カトリック以外に色々な宗教の人がいます。私たちは宗教色の強い映像やお話はしないことに決めました。皆が集まったところで、そこの共同体のリーダーが皆の参加に感謝し、また私たちの訪問に対しても歓迎の言葉をくださいました。またもっと多くの人が集まるように、来年は昼食を持ち寄って皆で分かち合おうと呼びかけておられました。最後に、集まっているすべての人とともに、一致と健康、そして必要な恵みを願って「主の祈り」を唱えました。主の祈りは多様な宗教であっても同じ父である神に祈ることが出来ます。本当に素晴しいことです。その後、100人ほどの子どもたちのために持参したプレゼントをくじ引きにし、一人ひとりに配りました。また、お母さんたちが準備したサンドイッチやケーキを嬉しそうに食べている子どもたちの笑顔が印象的でした。

 家から出て、喜びを持って人々に出会う一日でした。会の紹介は、次回に!と約束して帰途に着きました。

 
ただいま奮闘中
2014-11-01
ただいま奮闘中(しとね修道院)

土と海の香りのする信徒との交わりも深まってきた私ですが、人と人との出会い、人と物との出会い、その出会いの中で、たくさんの気づきをいただいています。限られた時間の中でのふれ合いですが、長い年月の間に大きな積み重ねになっています。
 台所は、私にとって命とふれ合う身近な場です。食材は生き物ですので、また栄養素を保つためにも、炒めすぎたり、茹ですぎたりすると、歯ごたえがなくなり、揚げすぎると硬くなるし、目が離せません。でも目を配り、手間をかけ、心を尽くして作ったものはみた目にも美しいし、おいしいです。
 今、保育所には四品目のアレルギー(卵・牛乳・小麦・大豆)を持っている1歳児がいます。調味料のほとんどに小麦粉が成分としてはいっているので、大半の調味料が使えません。そこで、素材そのものの味にちょっと工夫して美味しくするように心を配っています。麺類の時にはあわ麺、ひえ麺、きび麺、マロニーなどを使用し、パンはご飯で対応しています。もうすぐ6か月に一度のアレルゲン検査の結果が出るころです。せめて大豆だけでも使えればと願っています。また、4か月と10か月の乳児もいて、離乳食も奮闘中です。子どもの発達に合わせ、口や舌の動きを見ながら進めています。一食ごとに変わっていく成長ぶりに毎日の食事に手をかけ、心を尽くすことが子どもの心と体を満たすエネルギーとなっているので気が抜けません。
 毎月一回のセルフドック(手作り)
の時間には、食育の話を通して食材の命の恵み、作ってくれる人への感謝の気持ち、3つの色の食べ物をバランスよく食べることの大切さを子どもたちに直接伝えていくことができます。お友だちや家族と一緒に食べることの喜びを味わい、食卓が明るく楽しくみんなが元気になってくれるとうれしいです。
 人のためにできることが自分の足元にたくさんあるということに気づくと、ふだんの生活の中で、美しい自然や海を見てきれいだと思ったり、誰かに会って話をしてうれしかったり、いただききものをしておいしいと感じて感謝する日々の平凡な営みの中に、深い祈りがあると気づかされます。「食事を作る人は、あなたの不平、不満、職業を食べさせるな。真心を!」と言われたことを心にとめて、日々努めています。
 「食事を作る人は、あなたの不平、不満、職業を食べさせるな。真心を!」と言われたことを心にとめて、日々努めています。
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