純心聖母会は、長崎大司教区に本部を置く聖母マリアの汚れなきみ心に捧げられた教育と社会福祉の使徒的活動を行う聖座法の女子修道会です。

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純心聖母会
〒852-8142
長崎県長崎市三ツ山町415
TEL.095-848-2241
FAX.095-843-7570

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福 音 宣 教 の 小 道

 

★神様のひろば★

★神様のひろば★
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ひとつの出会いから
2015-12-01

ひとつの出会いから (鹿児島修道院)

Sr.Kの体験より
 あるご家族との出会いがありました。お子様は男の子一人。日曜のミサ後、お母様とよくこんな話をしていました。「お母様、子どもさんがもし『神父様になりたい』と言ったら、どうします」と言ったら、「本人が行くといえばですけど、まさか、うちの子は、ですよ。」「でも神様は一人っ子が大好きだそうですよ。」等々。ところが、そのお母様は今年3月に司祭叙階の大きな恵みをいただかれたそうです。

Sr.Yの体験より
 ある幼稚園で父親が要理の勉強を始めて受洗、数年かけて家族8名が受洗なさり、お祝いとして絵本『アシジのフランシスコ』(崎浜神父著、聖母の騎士校長)を贈呈したところ、長男が家族に読み聞かせ、その後、「お父さん、僕もこの人のようになりたい」と、現在ある修道会神学校の中学生になっているそうです。

Sr.Mの体験より
 5・6年生を担当していた時、2・3人の男子があまりよく聞いてくれませんでした。皆、卒業して中学校に入学し、そこで発表会があった時、教会学校で勉強したこと(救いの歴史について)を全校生徒の前で堂々と発表している場面を保護者からビデオで見せていただき、感動しました。教会学校の時は、聞いていないようだったのに、聞いていたんだと感心しました。子どもたちのために本当によく準備して教会学校に臨んだので、準備することで子どもたちにも伝わるんだと実感なさったそうです。

以上は、今年金祝を迎えられた姉妹方の宣教の実りを紹介させていただきました。

 
子どもたちとともに
2015-11-01
子どもたちとともに (神崎修道院)
  
 自然に恵まれた小佐々町神崎、保育園から約2キロ西方に本渡最西端の碑がある。園では月に一回の弁当の日を利用して、最西端公園にでかけることもある。
 先日、公園から無限に広がる海を眺めていた5歳のHちゃんが「先生、この海どこまで続くの?」また「お花っていつまでもきれいなままでいたいよね。どうして枯れるの?」と質問。一緒に海を眺めながら話をすると、「ああそうだね。本当にそうだね!」と納得。Hちゃんはそう言いながらも、ややしばらく海を眺めていた。自然界を通して神様の偉大さを自分なりに感じている様子だった。その数日後、5歳のRちゃんは保育園から帰宅すると突然、「お母さん、私もお友だちと初聖体の勉強がしたい」と言いだし、両親を驚かせた(母親のみカトリック)。父親が、本人が望むことだからと許し、次の日に両親は洗礼のお願いに教会に行かれた。洗礼の秘跡をいただいたRちゃんは晴々とした表情で初聖体の勉強に参加している。この2人の園児の様子を見ながら、イエス様がいつもともに働いてくださっていることを実感した。
 一方、教会学校では元気いっぱいの3・4年生(31名)を担当している。週1回の要理にはほとんど出席しているが、主日・祝祭日のミサには参加が少なく、家庭で祈ることを知らない子どもたちも大勢いる。信仰は神様からいただいた恵みであり、その信仰をよく生きるためにどうすればいいのか、子どもたちとともに考え、ともに学び分かち合いをし、個人的に声かけをするなど努力している。また教会共同体一人ひとりが神様の思いに気づき、「父の家に帰ろう」を実践できるよう、信徒の方々と毎朝シノドスの実りを祈りつつ、奉献生活の年を過ごしている。
 
父に寄り添って
2015-10-01
父に寄り添って (シスターA)
  
 どげなごとがあってもニコニコ。認知症、重くはないが、いま言ったことをすぐ忘れ、また同じことを繰り返す。
 性格にもよると思うが、症状もいろいろだと実感している。同じことを言うのを数えてみると、一日100回以上は言っている。こうなってくると体力と精神力(忍耐)が必要となる。これをありがたく神様に委ねると楽である。現実を受け入れることである。
 ワクワク楽しくしていくことがポイントだ。昔のことはよく覚えているため、相手の「昔」にタイムワープさせていくことも大事。ここで己れを無にすることができるかがミソである。己れを無にすることは、自分の感情や気持ちを認めつつ、一息入れて相手のために時と場を提供すること、神様に「間」にはいってもらって、神様の手の中に自分をそのままお任せする。そうすると相手の気持ち、世界に身をおくゆとりが生まれ、相手との共感、共有の世界が誕生する。己れが無であれば、どのような相手にも合わせられるのでいやなことがなくなる。相手の昔を引き出して、脳を活性化させる。笑うことは自律神経のバランスもよくなり=体も心も元気になる。
 何があっても笑うことだ。作り笑いでも、良い笑いでなくても笑うことだ。今日もテーブルの上で、アリがご飯粒を一生懸命運んでいた。冬に向かって自然界は、それぞれが与えられた場所で精一杯生きている。誰から何も言われなくても、黙々と神を賛美している。そのアリの動きを見つめながら、米粒をどこに運んでいくのか、他に手伝いがやってくるだろうか、手伝ってやろうかなどと二人で会話しながら指先でトントンしながら笑った。
 台風で鳥小屋の屋根が飛ばされたが、そんな時でも卵を産んでいる。素晴らしいと思う。停電が五日間続いた。電気がなかった昔を思い出し、父との会話に花が咲いた。落ち着いた昔話ができるたびに、いつかは神様のところに帰らんといかんことを私は意識して話している。
 神様からいただいた身体、少しずつ神様に返していこう、神のもとに帰るその日まで。キリスト様もそうであったように、すべては神様から来ているということを何度も何度も言い続けている。同じことを何度も繰り返す父と同じように。今日も秋風がそよそよ吹く中、実りの秋、宣教の秋であり、秋代である。
 
毎日のミサ
2015-09-01

毎日のミサ (広島修道院)

 毎日のミサでともに集い、主の食卓を囲んで賛美と感謝を捧げ、寒い日も暑い日も小聖堂でともに捧げるミサは霊的な糧となり、一日のスタートの大きな喜びの力となっています。
 信徒の高齢化に迫られ、私たちの宣教活動も広げられる時、可能な限りの奉仕をして宣教の実りを願っています。
 日曜日はミサに続き、初聖体の準備の勉強会をしています。私が忘れていても、子どもたちは熱心に参加します。午後は祇園から40分離れている可部教会のミサに参加します。月に2回、集会祭儀の司式をしますが、イエス様のみことばを伝えるよい機会が与えられていると感謝し、準備して出かけています。
 日々の宣教の機会を意識しながら、新たな心と姿勢でよりよい実りを願いつつ、今日も努めています。

 
奉献生活者年を生きる中で
2015-07-01

奉献生活者年を生きる中で (ときわ荘修道院)

 恵の丘での日々、初夏を迎え窓から自然を眺めるとき、創世記のはじめの神のみ業に心の目が導かれる思いである。神は天から降って地に身をかがめ、生かす息吹で地に諸々のいのちあるものを作ってくださった。木々の装い、小さい草花、飛び交う小鳥たちのさえずりすべてが、神のみ業をたたえている。
 立誓61年目を迎え、今こそ神から預かったたくさんの恵みの実りを奉献し、周りにも証しすることを、真に喜び、感謝を捧げたいと努めている。
 教皇様は、「出向いて行きましょう。イエスの命を指し示すために。」と呼びかけられる。出向くのに困難を感じる今、聖母とともに主のみ心の愛の寛大さ、深さを味わい、本物の奉献の姿を周りにも示すことが出来るよう努めたい。いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい・・・と、体全体で喜びを表しておられたコップ神父様の姿を思い出す。
 出来なくなっていくことに目が向きがちな中で、神が蒔いてくださった種子(宝)に、目を向けるように努めている。最近、よい本と出会った。『「神に聴く祈り」祈りのガイドブック』(マラキー・ハンラッティ著、女子パウロ会)である。
神は、この本から、私が言いたいことを聞きとりなさい!!とのメッセージを贈ってくださったとの思いで、今、味わっている。
 毎日、「よかったことをふり返る」という祈りの仕方である。神が絶えず、私に与えてくださっている「良いこと、良かったことを、もっとはっきり見せてください。」と受け身の姿勢で神からの働きかけを待つ、きく、祈りである。
 主は、聖ファスティナ(愛の秘書)にも、ご自分の人々に対するいつくしみの思いを伝えてほしいと望まれた。やもめの賽銭に心を留め、どんな小さい奉献も心から喜び、受け入れてくださる主に、心からの感謝を捧げたい。小さいステンドグラスになって。
 

 
ロザリオの信心
2015-06-01

ロザリオの信心 (ブラジル 聖母の家)      

 「会員だより」に記事を掲載してほしいとの知らせを受けた時、私の頭に、いろんな考えが浮かびました。その中で、一番強く感じたのが、老人方と祈っているロザリオの祈りでした。利用者の方々、その家族、訪問者など、毎日関わる日々の最後に、ブラジルで一番知られている、ロザリオの祈りを通して、一日を感謝しています。
 たとえ、どんなに歳を取っていても、また、アルツハイマー、パーキンソン、そのほかの認知症の病気の方でも、深い信心と心からの、ロザリオの祈りは、ほとんどの方が、「アヴェマリア」と祈ることができます。
ロザリオの祈りは、幼い時からの信心で、その祈りの中で、キリストの生涯、誕生、生活、死、復活の玄義を深く、黙想できます。
 時々、チャペルに入るのに、帰宅前ということもあって混乱することがあり、それが静まると、私もほっとします。ほとんどの老人方は一日で一番大切な時として、平和のため、守り導びいてくださるために祈ることを知っています。本当に病気から来るさまざまの限界・困難の中で、いろんなことが解らなくても、祈りの間、その困難さを見せたことがありません。これこそ、驚くべき事で、感謝と、恵みです。
 「ロザリオの聖母、わたしたちを助けてください」

 ロザリオに関するヨハネパウロ二世教皇のことばを、いくつか紹介します。
「ロザリオの祈りは、人々に多くの恵みをもたらします。」
「ロザリオは、私の敬愛する祈りです。素朴な深みのある素晴らしい祈りです。」

 
神さまの懐は広く深い
2015-05-01
神さまの懐は広く深い! (ベタニア修道院)
                      
 ある日、気がついた。一人の小学生がミサの侍者をしているが、本人だけが信者であるということに疑問を感じた。しかし毎日曜日には熱心に侍者に励んでいる。そこで聞いてみた。
「あなたの家族はみな信者ですか。」
「いいえ、ぼくだけです」
「お母さんは教会に来ていますか」
「はい、後ろにいます」
「シスターは、お母さんにご挨拶したいのですが」・・・
「ごめんなさいね。お尋ねしてもよろしいですか。坊やが一人洗礼を受けられておられるのですか」
「はい、実は聖也がどうしても洗礼を受けたいと言って、神父様に相談したところ、お母さんが子どもの信仰を守ってあげられますかと言われて、その約束で洗礼の恵みをいただいているのです。」
「そうですか。お母さんは今すぐに洗礼とはいいませんが、カトリックの勉強をしようとは思われませんか」
「実はそのことを考えていた所なんですが」といわれる。
「では、神父様にご挨拶しませんか。」
 その後、「シスターがみてやりなさい」との許可をいただき、一月から始め、仕事の合間を上手に使って、それは熱心に学ばれた。
 ところが3月に私の異動の知らせを受けて、神父様にその旨を伝え、お渡しして勉強を続けることにしていたにも関わらず、4月に入ると、「神父様から続きをシスターにみてもらってよろしいとのおゆるしをいただいたのでお願いします」との連絡がはいった。遠くから毎週、三ツ山まで通われたが、9月に入ってやむを得ない事情で、教会の主任司祭にお願いして要理の勉強を続け、今年の復活祭に次男と一緒に洗礼の恵みをいただいた。感謝!
 神さまのはからいは豊かで時と場所にこだわりなく、その導きはすばらしい。
 
新しい恵みの場で
2015-04-01

新しい恵みの場で (マダレナ修道院)

 「シスターですか?よかったー。シスターと同じ部屋で。」「シスターがいてくれて嬉しい。私は長与の信者です」等々、入院のたびにかけられた言葉である。シスターというだけで喜んでくださる信者さんたち。
「ご聖体です。」お忙しい中、足を運んでくださる神父様。司祭という存在だけで病気の信徒にとっては心の拠りどころとなる。「奉献者のいるところに喜びがある」教皇フランシスコの言葉が思い浮かぶ。
 「シスターさんですよね。主人はカトリックですが、教会に行ってないんです。でも葬式は教会がいいみたいで。無理でしょうか」
「大丈夫。教会は受け入れてくれますよ。」早速、司祭に連絡を取り、40年振りでゆるしの秘跡を受け、教会に戻られたFさん。
 お見舞いに来てくださったKさんが突然口を開く。「シスター、私たち夫婦のために祈ってくれんね。別れようと思ったけど、やり直してみるけん。病気を捧げる目的がまた一つ増えた。
 ご聖体をいただく日、信者数名が私の部屋に集まってくる。同室の患者に迷惑かもと心配したが、「熱は下がったね?無理せんとよ」など、互いに励まし合い、明るく語らう姿に「仲のよかね。一緒にいれてくれんね」と好評で、そのうちに「教会に行ってみたいね」「クリスマスに教会に行けるの?」「行けますよ。ぜひ行ってください」ということで、浦上教会のクリスマスミサを紹介。数人の看護師さんと外泊した患者さんとそのご家族の方々がミサに参加し、喜ばれた。
 高熱で笑顔も出ず、薬の副作用で祈りに集中できず、文字だけを追う日々の中で宣教などできようかと考えていたが、シスターという奉献者としての存在そのものが宣教であることを実感させられた日々であった。
 現在、私は通院治療中だが、入院中に知り合った数名の信者さんたちとグループを作り、互いに祈り合い、通院の折に病室を訪問し励まし合う活動を続けている。病気という新しい恵みの場をくださった神様と、治療の時をくださった修道会に感謝しながら、自分にできることを実践し、恵みの日々を生きたいと願っている。
 

 
種まき
2015-03-01
種まきの話 (八王子修道院)
      
 東京純心は、滝山自然公園に囲まれ、四季折々の校庭の樹木や草花などの自然環境に恵まれている。このような自然との関わり、朝礼や授業、行事、シスター方との関わりを通して学生、生徒たち、そして来訪される方々に福音の種が蒔かれている。

〔種まきのお話〕
 本校の庭に樹高40〜50メートル程 の、そびえ立つメタセコイアの木がある。春には新緑の美しさ、夏には木陰を作り、秋の紅葉のあと、種は風に吹かれあちこちに運ばれる。ある日のシスターと生徒の出会いがしらの会話である。
S   あら、こんな所に芽が出ているわ…
生徒 ・・・かわいい!
S   少しの土なのに、すごいわね。
生徒 聖書に種まきのお話がありますよね?・・・
S  (さすが純心生、感動!)

 学生・生徒たちだけでなく保護者や卒業生にも、時間の都合をつけて姉妹たちは宣教に励んでいる。私は月一回、木曜と土曜の2グループ、中学1年から高校1年までの保護者対象に「聖書の会」を実施している。正直なところ、あまり準備ができないで当日を迎えることもある。しかし聖霊の働きと参加者の熱意に駆り立てられて、福音の喜びを伝えるように努めている。典礼暦、学校の歴史や宗教行事なども織り交ぜて行っている。会の最後の方に、ティータイムを取りながら、まずはそれぞれの思いを分かち合い、散会する時間も忘れるほどいろいろな話題で盛り上がる。このような時間が貴重な交流の場でもあり、さらに恵みを増し加えられる神様の働きを実感させられる。

 「小さくても、すればそこに何か生まれ ます。人を喜ばせることができます。」
この初代会長様の言葉の深さが心に響く。初代会長様の熱い思いを心に留めたい。また奉献生活の特別年に教皇フランシスコは奉献生活者に熱意をもって誠実に生きるように求めておられる。宣教への熱意を新たにし、福音の喜びをともに分かち合うことができますように願いつつ。
 
天国の待合所
2015-01-01
天国の待合所 (ときわ荘修道院)

   「ときわ荘は天国の待合所ですね。」利用者A様のご家族の言葉である。高齢者施設で、信者が多く、天国に行きたいと待ち望み、互いを励まし祈り合っている雰囲気が漂っているからだという。
 A様との関わりの中で忘れられない思い出がある。A様はいつも不具合を訴え、「どうして神様は早く天国に連れていってくださらないのかしら」と口癖のように言われていた。「捧げなければと思うけど、辛くてどうしようもない」と言う。どのように声をかけるべきかと迷うことが多いのだが、その日はミサの説教を分かち合った。
 ある人が亡くなって天国に行った時、天使が待っていて、天国の住まいに案内してくれた。大きな立派な家の近くに来ると「あれが私の家だ」と思ったが、通り過ぎてしまった。しばらくするとまあまあ良い家が見えたが、そこも通り過ぎた。最後に辿り着いたのは、小さな貧しい家だったので、天使に文句を言うと、「あなたが地上から送ってくれた材料では、これが精いっぱいだったんです」と言われたというたとえ話である。すると、「その話なら知っているわよ。あの本に載っていたと思うんだけど」と、ぱっと目を輝かせ、生き生きとした表情を見せてくださった。「捧げることは辛いこともあるけど、少しでもお捧げして、たくさんの材料を天国に送っておかないとね。天使から材料が足りなかったって言われないように・・・」その日からA様が辛くてたまらないという時に、この話をしてはお互いに祈り合おうねと声をかけるようになった。その度にA様は微笑み頷いておられた。
 私はこれまで、信者として強い信仰を持ち、人生の大先輩にある方に対して、また人生の最期にさしかかろうとしている方々に、どのように関わればよいのか考えてきた。古い信者であるほど病気を患ったりすると悲観的であるように感じる。その気持ちが大きくなると、信仰さえも揺らぐ場合もあるようだ。また、死に対して大きな不安を抱えている方も多いように思う。
 私はA様との関わりの中で、その方が神さまの存在を忘れそうになった時にこそ、利用者の気持ちに寄り添い、ともに祈り励ましあうことが私にできることではないかと気づくことができた。また祈り合い、励まし合う仲間がいることの大切さも学んだ。仲間同士で、時には叱咤激励しながら、良い最後を迎えることが準備をしている姿に触れると、本当に「天国の待合所」という言葉はふさわしい。これからも利用者様との関わり一つひとつを大切にしながら、「天国待合所」で、私にできる宣教の使命として果たしていきたい。
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