純心聖母会は、長崎大司教区に本部を置く聖母マリアの汚れなきみ心に捧げられた教育と社会福祉の使徒的活動を行う聖座法の女子修道会です。

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純心聖母会
〒852-8142
長崎県長崎市三ツ山町415
TEL.095-848-2241
FAX.095-843-7570

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034059
 

福 音 宣 教 の 小 道

 

★神様のひろば★

★神様のひろば★
 
「宣教の使命を生きる祈り」と共に
2019-11-01
「『宣教の使命を生きる祈り』と共に」(シスターT)
 
2019年2月24日 バッハピアノコンサート
沢山の拍手に迎えられたピアニストは、大きな十字架のしるしをして「インヴェンション」という曲を弾き始めた。
(彼は名古屋大学ピアノ演奏家コースに在籍、自閉症の障がいをもつ)
 日曜日のミサ後、主任司祭から、そのドイツ帰りの親子の受洗の勉強を依頼された。期日も迫っていたが私なりの準備をもって臨んだ。しかし、1時間に及ぶ2人の話に圧倒されてしまった。11年間の留学中に出会った近所の方々がどんなに素晴らしかったか。ごく自然にミサや祈り、食事に招待され、そのなんとも言えない親しみの中に包まれてしまった。それぞれ違って美しかった教会の鐘(彼はそれがどの教会のものか全部聞き分けていた)オルガン曲、賛美歌と共にそれ以上に周りの方々の温かさに神様を感じたと熱く語った。日本に帰国する際、息子が「お母さん、僕もあの人たちのように教会に行きたい」と。受洗のきっかけを話してくれた。この親子はドイツの教会共同体を通して一番大事な神様の愛を知り、見て、感じてきたのだ。だから私の拙い説明も素直に受け入れてくれるだろうと改めて思った。宣教は―キリストの愛にならって・・・人々に寄り添い―なのだと。
 毎日唱える「宣教の使命を生きる祈り」は、奉仕に出かける私にとって大きな支えである。日本に生まれ育ったブラジル人の子どもたちの多くがポ語(ポルトガル語)が片言しか話せず、読み書きもできないでいる。日本語が話せない親たちとの会話が面倒くさいと言う。ポ語のミサを求めて日曜日ごとにあちらこちらの教会を廻っている親たちに連れられてきている。その中学生、小高学年たちに日本語での要理教育ということで月2回、カテキスタとして奉仕している。6月に堅信式を終えた者は、ミサ前後の準備と片付けの役割を果たしている。更に担当司祭の了解を得て、ポ語のミサの中で朗読、共同祈願の部分を日本語でやってみようと練習を始めている。
 多国籍の信徒で構成されている名古屋教区では大いに進められていることであるが、なかなかスムーズにはいかない。子どもたちと関わってみて気づいたこと。それは、日本で教育を受け生活していてもブラジル人の多くが持っている神様への強い信仰、聖母への尊敬、信心、隣人にとけ合うことなど失われていない何かDNAみたいなものを感じている。また、時々、市役所からの依頼で児童相談所やいろいろな施設に辞書を片手にブラジル人の通訳の手伝いをしている。
―知恵と勇気をお与えください―
 
神様の御手のわざ
2019-10-01
「神様の御手のわざ」(シスターT)

 私は神様の御手の業の中で感動することがあります。それは、潮汐です。潮の干満を毎日興味を持って、高台の修道院から眺めています。
 もう一つ感動するのは、修道院から見える夕日です。島と空と海を茜色に染めて、美しい夕日の落ちていく様は、表現の仕様がありません。自然現象を通して御手の業を賛美します。
 それから嬉しいことには、神様から頂く畑の作物です。実りを信者さんたちと分かち合ったり、また頂いたりして喜びが大きくなります。
 また、獲れたばかりの新鮮な魚を頂くとき、私たちが修道者だから、こんなにしていただけると感謝しながら共同体のみんなで航海の安全と無事を願って祈りを捧げています。これらは神崎ならではの恵みです。
 神崎は子どもの多い恵まれた小教区です。今年は小学生全学年で、神崎教会に66人、褥崎教会に40人います。私は教会学校で2年生を担当しています。子どもの澄んだ眼差しは、生き生きとして、話をよく聞いてくれている時は、要理教師の醍醐味を味わいます。昔のように家族そろって祈りをするという子どもは少ないので、天国のこと、聖人のことを話に加え伝えるようにしています。神崎教会では小学1年生から朝ミサの侍者をする子もいます。神父様より、2年生から祈りの先唱をさせるので、教会学校で祈りをできるようにして欲しいと言われ、ワークシートの他に朝晩の祈りの練習もしています。これはいいことで、緊張しながらも、上手に祈りができるようになっています。
 早朝から眠気と戦いながら侍者をする子どもたちと、常連の信者さんたちと毎朝ミサに与り、一日の糧を受けて、神様のことを伝えたいと、霊的実りを求めて教会奉仕をしています。現代は経済のグローバル化など、社会が変化し、宗教の衰退の時代の感がありますが、子どもたちや信者さんたちとの関わりを大切にして、希望をもって頑張っています。
 
わたしはぶどうの木
2019-09-01
「わたしはぶどうの木」(シスターF)

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。…ヨハネ15・5」
 軽費老人ホームときわ荘は定員50名の施設で、そのうちカトリック信徒は43名と、86%を占めている。この信徒の集まりを「ぶどうの会」と呼んでいる。以前は聖書の分かち合いを中心に行なっていたが、現在はぶどうの木であるイエス様に、しっかりとつながり、イエス様から離れないように祈り、信徒としての生き方を学んでいる。宗教行事への参加、司祭や修道者の話、DVD鑑賞、分かち合いなどを通して、イエス様とマリア様と聖人たちと出会い、イエス様とのつながりを深め、愛に生きるよう導かれている。また共に生活している人へ、さらに世界の貧しい人々へと心を他者に向けて私にできる方法で、手を差し伸べることができるように神さまと共に歩んでいる。人間関係がうまくいかない時こそ、「互いに愛し合いなさい」の理念の実践に努めている姿も見受けられるし、社会貢献への協力の輪も広がっている。このようなときわ荘の現状を見つめると、神さまはときわ壮という「神さまのひろば」で働いておられ、人をも導かれることを実感する。
 Fさんは、23歳で結婚のために富山県に転居し、70歳でご主人が死亡し、約10年後に長崎での生活を望み入所した。その翌日、ミサに来られたので、種無しパンをチボリウムに入れるように説明すると、10年間教会に行っていないと話された。そこでミサ前にゆるしの秘跡を受け、その後は毎日ミサに参加している。
 さらに神さまは、「神さまのひろば」から宣教に派遣する。80歳のKさんは、入所して間もなく、大阪在住の弟さんが危篤状態になった。ご家族の方がカトリックについて不明なため、大阪に赴き、病者の塗油に立ち合い、ご家族に通夜、葬儀の手順を教え弟さんが安心して旅立たれるように、ホームで力を得て宣教してきたと話された。
 これからも、ときわ荘が「神さまのひろば」であり続けるために、しっかりとイエス様につながり、神さまの働きに協力していけるホームでありたいと願う。
 
天使のお祈り
2019-07-01
「天使のお祈り」(シスターT )

「小さいお手々をくみあわせ こうしてお祈りいたしましょう 神さまよい子にしてください。」
 純心幼稚園の先生方は、毎度おなじみのこの歌、ブラジル純心幼稚園でも毎日歌っています。純心に入った子ども達が一番最初に覚える歌です。この記事を書くにあたって、この「小さいお手々」は、何十年も歌われ続けているだけでなく。子ども達が「小さい・・・」と歌うことが福音宣教の大きな導きとなっていることに気が付きました。
 朝のはじまりの時、お帰りの時、「神さまよい子にしてください。」と前奏が聞こえると、子ども達は、自然にさっと手を合わせるのです!! 〝すごいです〟乳児部の赤ちゃんもお兄さん、お姉さんを見ていて、次第に慣れてくると、可愛いお手々を合わせるようになってきます。 この「小さいお手々」が始まったら、〝お祈り〟をするのだという心の準備ができ、歌い終わると先生と一緒に声を合わせて「父と子と…」と始めるのです。「天におられる…」「アヴェ…」と全員口をそろえてお祈りをします。ブラジルの子ども達も日本語、ポルトガル語でお祈りできます。ブラジル中、どこを探してもこのようにお祈りをする学校は、おそらく純心だけでしょう。
 昔、「小さいお手々…」と歌った卒園児たちが、今は大きくなり社会人となり家庭を持つようになり、行く行くは自分の子どもを、自分が学んだ純心学園に入れ、神さまに祈る心、感謝する心、マリア様のように人を大切にする心、優しい心…と、目に見えない心の教育が育っているように思います。昔あるお母さんから、「子どもが家で食事の時、お父さん、お母さんに手を合わさせ、『小さいお手々…』と子どもが先唱して歌い、お祈りを一緒にしないと食べられないのです」などと話してくださったことがありました。こういうことを通して、親の心にも神さまの愛の心が伝わり、子どもと共に祈るようになっています。普段気付かないことですが、小さな子どもを通して大きな宣教の実りが芽生えているのではないかと思い、感謝の心で、毎日、子ども達と心を込めて歌い続けています。
 
教会学校
2019-06-01
「教会学校」(シスターH )
 
 鴨池教会では教会学校を毎月第一・第三土曜日に行なっている。今年度は年長児1名、小学校1年生から6年生まで9名、合計10名。その中でカトリックの信者は兄弟の2名。 他の子ども達は未信者である。(2名はクリスマスに家族で洗礼を受ける予定) 幼稚園を卒園してそれぞれの小学校に入学するので、幼稚園時代の友達に会えるのも一つの楽しみのようだ。私たちも小学校のことについて、いろいろ知ることができるし、学校であったことを分かち合ってくれるので楽しい時間である。
 教会学校は年に16回程度あるが、三学期は教会バザーの準備で終わってしまうほど、様々な行事が入り、イエス様の話ができるのは三分の一位である。次回も霊名の祝日を迎える神父様のお祝いのプレゼント準備である。話をする機会があまりないので、子ども達も熱心に聞いてくれる。ほとんどが聖母幼稚園の卒園児だが、卒園記念に贈る子ども用の聖書を読んでいて、「そのお話、本に載っていたよ」と本のページを開いて見せてくれることもある。
 昨年の夏休みは鹿児島教区の小学生キャンプがなかったので、鴨池教会学校の子ども達で鹿児島市内(ザビエル・玉里・吉野・紫原・谷山・純心学園聖堂)の教会巡りを行なった。教会は鴨池教会しか知らない子ども達がほとんどなのでとても新鮮に感じたようだった。「教会の中には何があるでしょう」と質問した小さなパンフレットを作り、教会ごとにそれぞれ記入していった。十字架・祭壇・朗読台・オルガンなど、どの教会にも同じものがたくさんあることに興味津々だった。また「初めて巡礼した教会でお願いごとをすると叶う」ということを伝えると、家族のため、お友達のためとそれぞれ祈っていた。
吉野教会、谷山教会では婦人会の方たちがおられ、おいしいおやつをいただき、感謝した。遠足気分で楽しい一日を過ごした。
 子ども達の大好きな聖書カルタも聖書のことを知るのに大変役に立っている。子ども達が知っている話もあるが、興味をもったカルタについてはどんな内容の話かを伝え、少しでも聖書のこと、イエス様のことを伝えるように心がけている。大きくなって、いつか洗礼の恵みに与ることができたらいいなと思いながら、毎回の教会学校を過ごしている。
 
神様が出会わせてくださる人々
2019-05-01
「神様が出会わせてくださる人々」(シスターK )

 これまでの環境とは違う場に身を置き、右も左もはじめましての学生生活は、二年目を迎えました。過ぎた一年を思い起こすと神様だけが頼りという宣教師たちの気持ちが少しだけ体験できたような気がしています。毎日「今日も一日、神様が出会わせてくださる人と時間を共有し、何かを分かち合えますように」と祈り、一日がスタートします。誰かとは、学生であったり教会の信徒の方や電車の中で会う人であったり様々です。また修道服の威力を感じることもしばしばです。「純心の卒業生です」「幼稚園で〇〇シスターにお世話になりました」「ミッションスクールだったので…」と声を掛けられることもあり、その度に「神様ありがとう。今日はこの方ですね」と感謝します。出会わなければ何の進展もないとなると、声かけは大きな宣教であると実感します。 しかし、「宣教」と一口に言っても信頼関係を築くことから始めなければならず、そこにはいつも大きなチャレンジが付きまといます。挨拶をする、微笑む、手を貸すなど自分から行動を起こすことは勇気が必要であり、自分の殻から飛び出すチャレンジの日々です。私が大学内で心がけていることは人の橋渡し役になるということです。私の周りには、とても優秀な神学生たちや先輩方、学生たちがたくさんいます。そこで私ができることは些細なことです。せめて神様が私に出会わせたこの人の手を、誰かの手につないで神様に結び合わせていただこうという思いです。例えば、洗礼を希望している学生には先生(神父様)を。何か接点を見つけたら他のシスターたちと学生たちを。学生と学生を。そして時には学生より人生を長く生きた者(親子のような年の差)として相談に乗ることによって学生と私自身をつないでいます。つなぎ合わせたところで信頼が芽生えより深く神様のいつくしみを感じる機会もあります。同級生に洗礼志願者二名と代母役を担う友がいます。担任が企画した黙想会にその仲間たちと参加し、祈りの手伝いをするチャンスもいただき、私にも恵みのお裾分けをいただきました。他学部の友にもキリスト教に少し興味を示し始めている人がいます。悩んだ末にやっと洗礼を受ける決心がついたと報告に来られた先輩、洗礼後の信仰生活について疑問や不安を語る先輩もいます。今の私には、人と人、神と人をつなぐために、両手を空にしておくことが求められていると感じています。
 
コーヒーをどうぞ
2019-04-01
「コーヒーをどうぞ」(シスターK )
 
  優しくお誘いする売店の方の声にひかれるように、観光で訪れた方、祈りに来られた方、教会が見えたので足を運ばれた方など、様々の思いで教会を訪れた方々が一杯のコーヒーに心身を癒されて教会を後にする光景が定着している。さらに 以前コーヒーをいただきましたと、リピートのお客様が是非もう一度と教会を訪れてくださることはとても嬉しいことである。
* * * * *
 三浦町教会は信徒が聖書に親しむために 日曜日のミサに自分の聖書を持参してミサ前にその日の福音箇所を照会し、個人で開いて読み ミサにあずかるように努力している。信徒の教育のため「聖書に親しむ集い」が二週間に一度 中村倫明師の講話とそれに続くお互いの分かち合いが行なわれる。また月に一度、シスターを中心に「みことばの分かち合い」が実施され、積極的に信徒の方も参加され、喜ばれている。私の宣教の場での出会いは様々で、一組は潜竜聖母幼稚園の園児の時にシスター安達と出会ったことが最初のきっかけでカトリックの教会に行ってみたいと思い、三浦町教会のミサに与り、カトリックの勉強を始め、いまは洗礼を望んでおられる。ほかに小学生が2名、自分から洗礼を受けたいと志願し、要理を始め、4月の復活徹夜祭に洗礼の恵みをいただく。初聖体の機会を逃して恵みに与かれない方々には、時間を調整してマンツーマンで準備を始めている。非常に厳しい現実の中でも、望む人たちを秘跡へと導き、神様と出会う機会を提供し、信仰の喜びを運べる者と意識しながら人々に関わっている。一つひとつの関わりが実を結ぶことを願いながら、私にできる小さな奉仕を感謝し、神様の大きな恵みに信頼して 明るさと関わりを大切にしながら、祈りの中で恵みを分かち合いたいと願っている。
 
恐れるな
2019-03-01
「恐れるな」(シスターT ブラジル)

 日曜日の朝は週日の営業日と違い、町の中は静かで人通りも少ない。ミサに行く途中、近くから鼻歌が聞こえてきた。横路から、私の方に向かって小走りでだれかが来る。不安で、とても心細くなったが、「おはよう!」と思わず声が出てしまった。するとさらに大きな声で、「おはよう、シスター。主があなたに祝福を!」と彼から祝福をいただいた。「ありがとう、あなたにも主の祝福を」と答えたら、彼はとても喜んで「ありがとう!」と言って、両手を合わせ、また歩き続けた。
 ボン ジェズス教会の前に小さな公園があり、ベンチで時を過している人や楽器を持って歌う人、マットを敷いて小物を売っている人、その隣りの木陰の下に小さな姿が見えた。クツションに座り、両足のない上半身だけの老人だった。近くに小さな空き缶が置いてあり、コインを入れる人、お札を入れる人、一人ひとりに「主に栄光」と言って感謝していた。
 夜のミサ後、隣の席の人が私を待っている、見知らぬ人だったが小声で話かけてきた。カトリックのシスター?長崎?原爆?・・・どんどんと質問され、話しかけてくるが、教会の管理人は祭壇の方から電気を消し始めたので聖堂を出て、外灯がとても明るかったのでその下で話は続く。個人的なこと、家族のことなどいろいろ話し、最後に、「話を聞いてくださってありがとう」と言って別れた。出会った一人ひとりを思い出すと、それぞれが貧しい人、明日のことではなく日毎の糧のために生きている人たち、その中で感じたことは、彼らには何よりも先に神様が心の中に存在しておられるということ。
日々の修道院での生活、学校での生活でも多くの人、職員、親御さんと出会う機会がある、様々なできごとを通して、私たちは神様の道具であることを意識していたいと願う。
 「出かけて宣教を」と聞くと、私はすぐに、どこで、何を、どうしようと思ってしまう。福音では、イエス様は「恐れるな」とおっしゃっている。逆風、荒波、深海の中でも、主がともにあれば「恐れるな」。
 新学期が始まり、0歳からの新入児、母親から離れる不安な気持ちの中、子どもなりにその状況を認識する闘い、勇気を得るようにがんばっている。
 「出かける教会」、自己から出かけることと教皇様はおつしゃっている。誰かに聴いてほしいと思っている人に耳を傾ける、一人ぼっちで歩いている人におはようの一言、祝福を与えること、---その日の生活に必要としている人への奉仕、小さなことにも神様の道具となり、神様のひろばに集う人々への神の慈しみを感謝しながら。
 
神様の子どもになるうれしい日
2019-01-01
神様の子どもになるうれしい日(シスターS)

 私の宣教の場のひとつに祇園教会の教会学校があり、園児から小学校までの40名と初聖体・堅信準備グループなど子どもたちの宗教教育や信仰教育を信者のスタッフ8名と担当しています。年間に様々な行事も織り込み、教会敷地内に小麦の種をまいて種なしパンを作って奉納をしたり、また、みんなでバナナケーキをつくって販売し、収益金をホームレス支援に協力したり、聖劇やクリスマス会などレクリエーションを通して神様と隣人への愛の業を体験し経験させています。
 清心幼稚園在園時から教会学校が大好きだった小学4年の男の子がいます。彼には大きな一つのあこがれがありました。それは先輩といっしょにみんなの前で侍者をしたいという願いです。おばあちゃんを通して彼の熱心な望みを知った私は、洗礼がまだでしたので両親に相談し、修道院の一室で勉強会を始めました。「神さまってどんな方?」から始まって、質問ぜめの彼。勉強会での話の内容を彼は家族にも報告しているらしく「シスターに神さまのお話を山のようにたくさん聞いたよ.神さまは僕が生まれるずっと前から僕のことを知っていて、名前も、僕が今サッカ―クラブに入っていることも、神さまの子どもになって侍者をやりたいナァと思っていることも何でも知っていて、いつも僕を見守ってくださっているんだって。おばあちゃん!神さまはこんなに素晴らしい方だと知っていた?驚いたナァ」。彼にとって、すべてが大発見です。神さまは私たちのお父さんということが納得できたようです。勉強会を重ね、晴れて「王たるキリストの祝日」に洗礼の恵みをいただきました。その日、自分の思いを神さまへのお手紙として奉納しました。
 神さま、今日!僕は洗礼と初聖体を受けて神さまの子どもになれるうれしい日です。僕の心は、今ワクワクしています。これからカトリックの勉強と侍者をがんばります。神さま、僕をかみさまのこどもにしてくれてありがとう。そしてたくさんのお恵みをありがとう。天のお父さんへ 〇〇より
 今、彼はあこがれの侍者になり、胸をはってその大役を果たしています。
 10月28日には白濱司教様をお迎えして堅信式が行なわれました。受堅者17名。7名の中高生は私が担当し、クラブや塾で忙しい学生と勉強会のやりくりをしながら堅信の日を迎え、それぞれ恵みをいただき、決意を新たにしたようでした。堅信準備のこのチャンスにこれからの教会を担う若者が神としっかり結ばれて一人前のキリスト者として使命を果たしていけるようにとの思いで準備し、これからも信仰の手助けをしていきたいと思っています。教会学校や秘跡準備の関わりの中で目を輝かせて聞いてくれる勉強会は楽しく、私自身学ぶことも多く、子どもたちといっしょに神の存在に新鮮な驚きを感じているこの頃です。
 
天は神の栄光を語り、大空はみ手の業を告げる
2018-12-01
「天は神の栄光を語り、大空はみ手の業を告げる」詩編123(シスターM)

 シスター江角が大きな希望を持って東京純心を創立された時、どのような自然の庭の構想をお持ちだったのでしょうか。春は咲き競う多種類の桜につつまれ、秋は常緑の大王松と紅葉するモミジバ楓のコントラスト。そして冷え込む冬の明るい朝、天をさして悠久の思索を誘うかのようなメタセコイヤ。それらの樹形と配置のバランスに、シスターの豊かなお心を感じます。
 神様がお与え下さったこの土地を本当に大切に使いたいのよ。「からしだねの詩」
 自然の中にかの有名な数列を見つけ、その神妙な世界に魅了されたシスターによって、創立当初から「労作」の時間が設けられております。現在私はスタッフの一人としてこの任に当らせていただいていますが、まず学園の草花はすべて生徒たちが種から育てています。さらに中学生は学年ごとに作物を作り、収穫物は近隣の福祉施設とも分かち合います。2時間続きの高
校選択者は、半坪ほどの「マイ畑」での野菜作りにも挑戦。生活空間が自然から程遠い彼女たちの驚きは、週毎に見るその成長の早さと個別の味があることです。「マイ畑」の5種類の中の一つを手にしたある生徒の一句です。
ラディッシュは丸い顔してかわいいね 甘くて辛い裏切りの味
 初めての「私の真っ赤なラディシュ」は、こんなに本物の味を教えてくれました。これに少し手を加えて、乙女好みのラディッシュのゼリーや青空の下でともに作る食パンピザ、パンプキンパイ等に、彼女たちの瞳はパッと輝きます。大地の恵みである自分たちの野菜が実はこんなにもおいしいものであることを発見し、食する喜びを通して、一人ひとりが大切にされていることを実感するようです。この素直な喜びの心にこそ、神様のいつくしみが染み渡りますように祈ります。
 世界は愛のこもった神の贈り物であることと・・・神の惜しみない心に倣うようにそっと呼びかけられているのです。(ラウダート・シ220)教皇様は『ラウダート・シ』の中でこう述べられ、いとおしむ心をもってともに暮らす家を大切に生きるようにと励ましておられます。ここに私はあのナザレトの生活から吹いてくる風を感じ、この観想を深めていきたいと思っています。
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