純心聖母会は、長崎大司教区に本部を置く聖母マリアの汚れなきみ心に捧げられた教育と社会福祉の使徒的活動を行う聖座法の女子修道会です。

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純心聖母会
〒852-8142
長崎県長崎市三ツ山町415
TEL.095-848-2241
FAX.095-843-7570

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026507
 

福 音 宣 教 の 小 道

 

★神様のひろば★

★神様のひろば★
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恐れるな
2019-03-01
「恐れるな」(シスターT ブラジル)

 日曜日の朝は週日の営業日と違い、町の中は静かで人通りも少ない。ミサに行く途中、近くから鼻歌が聞こえてきた。横路から、私の方に向かって小走りでだれかが来る。不安で、とても心細くなったが、「おはよう!」と思わず声が出てしまった。するとさらに大きな声で、「おはよう、シスター。主があなたに祝福を!」と彼から祝福をいただいた。「ありがとう、あなたにも主の祝福を」と答えたら、彼はとても喜んで「ありがとう!」と言って、両手を合わせ、また歩き続けた。
 ボン ジェズス教会の前に小さな公園があり、ベンチで時を過している人や楽器を持って歌う人、マットを敷いて小物を売っている人、その隣りの木陰の下に小さな姿が見えた。クツションに座り、両足のない上半身だけの老人だった。近くに小さな空き缶が置いてあり、コインを入れる人、お札を入れる人、一人ひとりに「主に栄光」と言って感謝していた。
 夜のミサ後、隣の席の人が私を待っている、見知らぬ人だったが小声で話かけてきた。カトリックのシスター?長崎?原爆?・・・どんどんと質問され、話しかけてくるが、教会の管理人は祭壇の方から電気を消し始めたので聖堂を出て、外灯がとても明るかったのでその下で話は続く。個人的なこと、家族のことなどいろいろ話し、最後に、「話を聞いてくださってありがとう」と言って別れた。出会った一人ひとりを思い出すと、それぞれが貧しい人、明日のことではなく日毎の糧のために生きている人たち、その中で感じたことは、彼らには何よりも先に神様が心の中に存在しておられるということ。
日々の修道院での生活、学校での生活でも多くの人、職員、親御さんと出会う機会がある、様々なできごとを通して、私たちは神様の道具であることを意識していたいと願う。
 「出かけて宣教を」と聞くと、私はすぐに、どこで、何を、どうしようと思ってしまう。福音では、イエス様は「恐れるな」とおっしゃっている。逆風、荒波、深海の中でも、主がともにあれば「恐れるな」。
 新学期が始まり、0歳からの新入児、母親から離れる不安な気持ちの中、子どもなりにその状況を認識する闘い、勇気を得るようにがんばっている。
 「出かける教会」、自己から出かけることと教皇様はおつしゃっている。誰かに聴いてほしいと思っている人に耳を傾ける、一人ぼっちで歩いている人におはようの一言、祝福を与えること、---その日の生活に必要としている人への奉仕、小さなことにも神様の道具となり、神様のひろばに集う人々への神の慈しみを感謝しながら。
 
神様の子どもになるうれしい日
2019-01-01
神様の子どもになるうれしい日(シスターS)

 私の宣教の場のひとつに祇園教会の教会学校があり、園児から小学校までの40名と初聖体・堅信準備グループなど子どもたちの宗教教育や信仰教育を信者のスタッフ8名と担当しています。年間に様々な行事も織り込み、教会敷地内に小麦の種をまいて種なしパンを作って奉納をしたり、また、みんなでバナナケーキをつくって販売し、収益金をホームレス支援に協力したり、聖劇やクリスマス会などレクリエーションを通して神様と隣人への愛の業を体験し経験させています。
 清心幼稚園在園時から教会学校が大好きだった小学4年の男の子がいます。彼には大きな一つのあこがれがありました。それは先輩といっしょにみんなの前で侍者をしたいという願いです。おばあちゃんを通して彼の熱心な望みを知った私は、洗礼がまだでしたので両親に相談し、修道院の一室で勉強会を始めました。「神さまってどんな方?」から始まって、質問ぜめの彼。勉強会での話の内容を彼は家族にも報告しているらしく「シスターに神さまのお話を山のようにたくさん聞いたよ.神さまは僕が生まれるずっと前から僕のことを知っていて、名前も、僕が今サッカ―クラブに入っていることも、神さまの子どもになって侍者をやりたいナァと思っていることも何でも知っていて、いつも僕を見守ってくださっているんだって。おばあちゃん!神さまはこんなに素晴らしい方だと知っていた?驚いたナァ」。彼にとって、すべてが大発見です。神さまは私たちのお父さんということが納得できたようです。勉強会を重ね、晴れて「王たるキリストの祝日」に洗礼の恵みをいただきました。その日、自分の思いを神さまへのお手紙として奉納しました。
 神さま、今日!僕は洗礼と初聖体を受けて神さまの子どもになれるうれしい日です。僕の心は、今ワクワクしています。これからカトリックの勉強と侍者をがんばります。神さま、僕をかみさまのこどもにしてくれてありがとう。そしてたくさんのお恵みをありがとう。天のお父さんへ 〇〇より
 今、彼はあこがれの侍者になり、胸をはってその大役を果たしています。
 10月28日には白濱司教様をお迎えして堅信式が行なわれました。受堅者17名。7名の中高生は私が担当し、クラブや塾で忙しい学生と勉強会のやりくりをしながら堅信の日を迎え、それぞれ恵みをいただき、決意を新たにしたようでした。堅信準備のこのチャンスにこれからの教会を担う若者が神としっかり結ばれて一人前のキリスト者として使命を果たしていけるようにとの思いで準備し、これからも信仰の手助けをしていきたいと思っています。教会学校や秘跡準備の関わりの中で目を輝かせて聞いてくれる勉強会は楽しく、私自身学ぶことも多く、子どもたちといっしょに神の存在に新鮮な驚きを感じているこの頃です。
 
天は神の栄光を語り、大空はみ手の業を告げる
2018-12-01
「天は神の栄光を語り、大空はみ手の業を告げる」詩編123(シスターM)

 シスター江角が大きな希望を持って東京純心を創立された時、どのような自然の庭の構想をお持ちだったのでしょうか。春は咲き競う多種類の桜につつまれ、秋は常緑の大王松と紅葉するモミジバ楓のコントラスト。そして冷え込む冬の明るい朝、天をさして悠久の思索を誘うかのようなメタセコイヤ。それらの樹形と配置のバランスに、シスターの豊かなお心を感じます。
 神様がお与え下さったこの土地を本当に大切に使いたいのよ。「からしだねの詩」
 自然の中にかの有名な数列を見つけ、その神妙な世界に魅了されたシスターによって、創立当初から「労作」の時間が設けられております。現在私はスタッフの一人としてこの任に当らせていただいていますが、まず学園の草花はすべて生徒たちが種から育てています。さらに中学生は学年ごとに作物を作り、収穫物は近隣の福祉施設とも分かち合います。2時間続きの高
校選択者は、半坪ほどの「マイ畑」での野菜作りにも挑戦。生活空間が自然から程遠い彼女たちの驚きは、週毎に見るその成長の早さと個別の味があることです。「マイ畑」の5種類の中の一つを手にしたある生徒の一句です。
ラディッシュは丸い顔してかわいいね 甘くて辛い裏切りの味
 初めての「私の真っ赤なラディシュ」は、こんなに本物の味を教えてくれました。これに少し手を加えて、乙女好みのラディッシュのゼリーや青空の下でともに作る食パンピザ、パンプキンパイ等に、彼女たちの瞳はパッと輝きます。大地の恵みである自分たちの野菜が実はこんなにもおいしいものであることを発見し、食する喜びを通して、一人ひとりが大切にされていることを実感するようです。この素直な喜びの心にこそ、神様のいつくしみが染み渡りますように祈ります。
 世界は愛のこもった神の贈り物であることと・・・神の惜しみない心に倣うようにそっと呼びかけられているのです。(ラウダート・シ220)教皇様は『ラウダート・シ』の中でこう述べられ、いとおしむ心をもってともに暮らす家を大切に生きるようにと励ましておられます。ここに私はあのナザレトの生活から吹いてくる風を感じ、この観想を深めていきたいと思っています。
 
神よ、あなたは万物の創り主
2018-11-01
「神よ、あなたは万物の創り主」(シスターS)
 
 「神よ、あなたは、」この続きは?「ばんぶつのつくりぬし」と声を張り上げて答えてくれるのは、初聖体準備開始から数週間後の一コマ。なんとも純粋な可愛い子どもたちとの勉強に、私自身が学ばされること多々! 担当して3年目にはいる。ひらがなの多かったプリント準備に、少しずつ漢字を入れて、書き込みの枠も少し狭めるなど、毎回成長を見せてくれる子どもたちとの勉強は、自分も楽しい。私の計画の大枠は「神を讃えよう。神は偉大、すべては神に創られた」である。神の創造!一番の傑作は、人間・僕やあなたたち、兄弟・両親友人も。宇宙・草花・魚・動物等をイラストまたは文字で、毎回書き足していくファイルを作り、「神よ、あなたは万物の創り主」への賛美をこめて、初聖体の日のおささげにしている。
 小学校2年生の9月から始めて、次年度6月のご聖体の祝日までの期間、月2回のペースで、13~15回のプログラムを組んでいる。イエス様のこと、神様のこと、マリア様のこと、秘跡のこと。弟子たちとイエス様のことへの思いや知識が増えてきて、学びの喜びを家族にも話している様子を聞くと、私も嬉しくなる。
 毎回、時間の閉めには、「ありがとう神様」を歌うことを続けていたことで、学校にいる時にいつの間にか心の中で歌っていたとも話してくれる子どもたち。親の目からも、勉強が始まってからの成長を感じる話を伺う時、それは教会の将来への希望であり、イエス様・マリア様の喜びであり、天使たちの歓喜であると想うと、自分も可能な限り担当奉仕を通して神の栄光のために、預言職を果たしていきたいと思う。
 初聖体を受けた子どもたちが、早速待たれるのは侍者の入門式。本人たちも憧れていた祭壇奉仕!先輩たちと同じ侍者服の試着の日は、親子共々喜びの日。次週のミサに緊張して居並ぶ様子もまた教会の喜びの日。本人たちにとって、その最初のご奉仕は、大人になってからも、信仰生活の礎になるであろう。
 例年のことながら、日に日に毅然とした侍者に成長していくのも頼もしいかぎりである。
 
「明るい灯」になれますように!
2018-10-01
「明るい灯」になれますように!(シスターA)

 去る8月26日(日)の長崎新聞の第1面に、「ゆかりのある人たちの証言と映像でゼノ修道士の生涯を追ったドキュメンタリー『ゼノさん』が、ポーランドで完成した」というニュースが紹介されました。新聞を読みながら、私も、ゼノ修道士と直接に出会われた方から伺った感銘深い話や、東京の山手線の中で、修道女に囲まれたゼノ修道士の笑顔に出会い、その情熱に改めて感動を覚えたことなどを思い起こしました。特に次の話は、宣教の歩みを助けてくれます。
 
① ゼノ修道士は宣教に出掛ける時、話す時間と同じくらいの時間を聖堂で祈っていました。そのため、時にはベッドに休む暇がない時もありました。
② 宣教に出掛ける時、ゼノ修道士がお金を持ち出していましたので、修道会もゼノ修道士が自由に使えるように配慮しました。ゼノ修道士は臨終の床で申しました。「私がお金を持ち出していたのは、自分がお金を欲しかったためではなく、宣教に大切な『愛の心』を修道会に育てたかったからです。宣教は、神様のことをのべるだけではなく、相手への具体的な配慮が大切です」と。
③ ある日、北海道のトラピストにゼノ修道士が来られ、「乳牛を見たい」と言われたので、私の弟ビィアンネ修道士が、牛舎を案内したそうです。乳牛は50頭ほどいました。ゼノ修道士は、時折、牛の鼻面(はなづら)を撫でていました。牛舎を一巡して「これで全部です」と伝えたところ、「子どもたちこれ要ります。マリア様これ要ります」と言って鼻面を撫でた5頭を希望されましたので、早速、少年の森に贈りました。ゼノ修道士が選んだ5頭は、良く育っていました。
 
 ゼノ修道士の「①祈りの心、②愛の心、③聖母と共に人々のために尽くす心」は、宣教のキー・ワードですね。ゼノ修道士さま、私たちが宣教のキー・ワードを生きて、人々の中で「明るい灯」になれますよう、お祈りください。
 
ブラジル Irエリーザありがとう
2018-09-01
ブラジル Ir.エリーザありがとう(シスターL)

 今年になって、私の修道会の仕事以外の活動が少なくなったのは、特にSrエリーザのお世話を始めたからです。でも、その中で命について、多くのことを感じましたので、分かち合いたいと思います。Srエリーザは、よくなることを望みながら癌と闘っていました。私たち外部から見る限りでは、死を考えてはいないようでしたが、病状は悪化し、シスターの抵抗力は無くなっていました。日々、状態が弱ってきている中で、私自身、介護者として精神的にも、肉体的にももっと力が必要でした。時々、チャペルに泣きに行ったり、怒りを感じたりの混乱の時でした。
 最期のころ、シスターのためにみんなでいろんな努力をしました。身体の衛生面のお世話、食べ物、投薬等々。彼女は、一度も、不満な表情を見せたことはありませんでした。シスターの体は弱ってきていましたが、精神面は、強まっているのを感じました。シスターが私に言った事は、「他の人が、神様に近づくために、この苦しみが役立つならいい」と。
 シスターの様子を伺いながら感じたことは、神様がどんなに私たちを愛し、大きな苦しみの中にも、決して見捨てないということでした。神様がシスターとともにおられたから、絶望的でなく、落ち着いた静かな状態で、平和のうちに、この生涯を全うされたのだと思います。
 彼女が病床についてから、姉妹たち、友だち、家族の方々の祈りの力を強く感じさせられました。お世話するためにも、また、シスターが、病と闘っていくためにも、神様から来る力を得るために、皆さんの祈りが必要でした。考えてもいなかったこの出来事を通して、私たちの修道会が、子どもたち、老人たち、病人たちなど弱い人々のお世話をする使命が、敬愛するイエス様のため、生命の価値、神様からいただいた命を大切にしていくことの必要性に、目覚めさせられました。時々、私たちの命は、自分自身のためだけのように生活しているのを感じます。まだ、自分一人で生活できるときはよいとしても、他の人の手助けが必要になる時、謙虚さが必要になります。謙虚さは、神の恵みであることは確かです。お世話することやお世話されることが大事なことではなく、私たちの命は神様が支持なさるということが大事なことだと思います。
 いつも、私たちの生命の指導者でいてくださいますように、神様からの恵みを願いながら。いま、神様とともに生きているシスターエリーザを、私たちはなつかしく感じます。でも、シスターは、神様とともにいて、私達のために、取り次いでくださっています。
 
ザビエル教会学校リーダーを終えて
2018-07-01
「ザビエル教会学校リーダー」を終えて(シスターY)

  教会学校リーダー奉仕に多くの時間をいただいたことに感謝し、報告させていただきます。
◇ザビエル教会の永山師と末吉師より教会学校リーダーを依頼され、以来、敬老パス券での通勤がはじまった。
◇毎土曜日、10時からのリーダー会に信徒4名と私、司祭が集まる。「こじか」をテキストに、リーダーたちの豊かな生活が分ち合われ、笑いあり涙ありの勉強会を4名で1人分と表現したが、立派な信仰生活を生きている方々だった。
◇小学生が中学生に、中学生が高校生に、高校生が大学生に成長していくころ、私たちは男子・女子ともに祭壇で侍者をさせていただけないかと教会の中央典礼担当者に相談した。許可をいただき、これで教会学校が一段と活気づいた。
◇当時、ザビエル教会には「高校生会」はなかった。遠足で近くの城山登山の折、二人の上級生に「高校生会をつくったら」と持ちかけたところ、「シスターが責任者になってくれたら僕たちひき受けます」とすんなり引き受けた。
◇高校生会の誕生。きびしい「特進クラス」に在籍しながら、マリア山荘での高校生合宿を永山師のご指導のもと、実施。3年間全員が無欠席で参加したことは、基礎作りに大きな力となった。
◇子どもたちのカトリック信者としての成長を目のあたりにし、次々に秘跡を受け、社会人となっていくのを身近に見、応援させていただくことは大きな喜びとともに、別れは辛いものだった。けれども、これはリーダーとして当然のこと。充実感とともに寂しい体験だった。
◇現在、彼らは大学を卒業し社会人となり、一人は大会社の幹部に、一人は市立病院の医師に、一人は広島のユニクロの責任者に、また外国留学など活躍しながら、温かい家庭を築き、子どもが誕生し、日曜日のミサには家族揃って与り、信徒の大きな喜びとなっている。
◇この間、私は大隅半島にある鹿児島教区の垂水幼稚園の宗教授業を担当し、フェリー片道40分の通勤を1年間担当させていただいた。その授業案は、純心聖母会の意向で宣教センターに提出させていただいている。
以上、13年間の教会学校リーダー奉仕のご報告とさせていただきます。ありがとうございました。
 
宗教の授業のひとこま
2018-06-01
宗教の授業 ひとこま(シスターM)
 
 4年間の神学の勉強を終えて、八王子修道院に派遣され、中学、高等学校で宗教科の授業を担当するよう になってから1年が経った。宗教科の授業と言えば、生徒たちに退屈、息抜き、眠いというようなイメージで捉えられがちであることは否定できない。そこで、近ごろでは当たり前のように耳にするアクティブ・ラーニングを採用した。生徒自身が主体的に調べ、自分の考えを発表する授業を中心に高校では行なっている。
 高校1年生は、2年次に行なう長崎研修の事前学習の一環として長崎のキリスト教に関連する場所や人物に関するテーマでのポスターツアー、2年生は、日本カトリック司教団の『いのちへのまなざし』が取り上げているいくつかの生命倫理の問題に関するテーマでのポスターツアー、3年生は核兵器と原子力発電についてのグループディスカッションを行なっている。
 一例として高校1年生のポスターツアーで生徒たちが出したテーマの一部を紹介すると、生徒たちは、「26聖人は後世に何を残したのか」、「潜伏キリシタンは迫害が厳しい時代にどのように自分たちの信仰を子孫に伝えていったのか」、「なぜコルベ神父はアウシュビッツで死刑囚の身代わりになったのか」というテーマを挙げ、それぞれに「26聖人は後世にキリスト教の魅力と本当の幸せのあり方を残した」、「潜伏キリシタンは、外見は伝統仏教の様式を取り入れながら、自分たちの信仰を守るための組織をつくって次の世代に信仰を伝えた」「コルベ神父は殉教者となるべく生きてきたから」と結論づけていた。
 生徒たちの発表を聞いていると、私自身がこのようなテーマについて授業を行なったとしても、生徒自身が学び、感じとったような答えが出せただろうかと思える。このような生徒たちの姿を見ていると、彼女たちの中にある信仰者の生き方から神の愛や働きを見いだせる力を強く感じる。
 先日、そのときの1年生だった生徒たちを引率して長崎研修に行ってきた。その際、浦上天主堂や如己堂、日本26聖人殉教地など、授業で生徒たちが調べた人物や出来事に関連する場所を訪れた。時間をかけて自分たちで調べ、考えたことを実際に自分の目で確認することで、彼女たちの心に何か生涯残るものがあればと願っている。
 
神様から託された召命
2018-05-01
神様から託された召命(シスターS)

 召命促進委員会の活動の一つに「成人黙想会」がある。長崎地区で行なっていた成人黙想会を関東地区でも行うきっかけとなったのは今から7・8年前のことで、東京純心女子大学で関わっていた学生たちへの呼びかけに遡る。キリスト教のことを全く知らずに入学した学生たちとの日々の関わりの中で、聖書に関心を持つ学生が意外に多いことに気付き、研究室で聖書の勉強会を始めた。数か月間、聖書の勉強会を続ける中で、確かにみことばを通して神が学生たちの心に触れてくださり、一人、また一人と洗礼希望者が現れた。幸い、レデンプトール会の井田明神父様が、授業のために毎週おいで下さり、学生たちの受洗のための勉強から洗礼・堅信式まで丁寧に指導してくださった。
 聖書の勉強会から受洗・堅信へと導かれた学生たちの希望により、黙想会を行なうようになった。やがて、本会主催の「成人黙想会」へと移行し、参加者は東京純心大学の学生から、小教区で関わる信徒の方々、純心の卒業生や関係者など次第に広がっていった。
 毎年、関東での成人黙想会を継続していく中で心がけてきたのが、日ごろの霊的な関わりである。黙想会参加者の希望者には、毎月、聖書の勉強会に誘い、一緒に聖書を読み、学びの時を持ち分かち合いを行なって関わりを深めていった。同時に関東地区の姉妹方は、積極的に卒業生や教職員関係者等を黙想会に誘い、協働者養成の一環を担って、スタッフとしても協力参加された。聖書の勉強会から成人黙想会への橋渡し、純心学園関係者の参加、姉妹方の協力が功を奏して、関東地区の成人黙想会も年々、広がりと深まりを増してきたように思う。
 聖書勉強会や成人黙想会を通して実感することは、私たちの周りには永遠に変わることのない「本物」を渇望している若者が、私たちが想像する以上にいるということである。私たちに今できることは、彼らの存在に気付き、彼らの歩みに寄り添い、一人ひとりに神様から託された召命(使命)に気付く手助けをし、真理であるイエス・キリストのもとに導いていくことなのではないだろうか。
 昨年度の成人黙想会参加者の一人が、メッセージを残してくれた。「この黙想会で沢山の愛を感じ、大変幸せな気持ちでいっぱいです。お祈りをしてくださっているシスター方をはじめ全ての方に心から感謝いたします。是非、また来年も参加したいです!」私たちの日々の小さな声かけが、一
人でも多くの若者に届いて愛と幸せを感じてもらえるのであれば、それこそが宣教の第一歩なのだと信じている。
 
命に触れる
2018-04-01
命に触れる(浦上修道院)

 最近、学生と関わっていて、表には出さないが心の中にしまい込んでいる苦しみや悩みをかかえている学生によく出会う。幼児期についての学びが深まれば、さらに辛くなる学生もいる。
 4年生が受講する宗教の授業では、自分を振り返る作業をいくつか行なう。心理学の専門家ではないので、自分にできる範囲を見極めながら展開していくのだが、振り返り用紙にはほとんどの学生がA4サイズの半分にびっしり感想を書いたり、空き時間にやってきて、授業の感想や授業をきっかけに思い出したことを話したりするのである。福岡在住の住職の方が、試験の点数だけで評価されない科目があっても良いのではないかと言われていた。本人が誠実に取り組めば、評価してもらえるという方法である。少しでもそのような評価ができるように、振り返り用紙を学生の了解を得て印刷し配布している。学生たちは、他者の意見の中に同感する言葉や反対意見を知り、徐々に自信をつけていく。授業時間以外にも自主活動を求められる学科なので、聖書の勉強会や信者の学生へのカテケージスの時間はなかなか取れない。しかし、長崎純心大学では、月曜日に一日ゆっくり待っててくれるシスターがおられるお陰で、受洗者が出たり、ミッションスクールの存在に興味を持ったりしている。このような大切な場があることに感謝している。
 また、キャンパス内にはシスター江角が遺してくださったものを通して、命の大切さを伝えることができる。ある資料を通して、シスター江角が三ツ山に大学が移転する時、自然に生えている木をできるだけ残したいと言われ、現在も健在な木があることを知った。このような自然に触れるときが一番、神様を近く感じられるのは、命に触れるからかもしれない。一人ひとりの命の大切さを、シスター江角は、栽培活動を指導しながら次のように言われた。「この小さな植物を大切にできなくて、どうして人さまの大切なお子さんを預かることができますか。」学生時代に、私自身が伺った話である。とても簡潔で、的を射た言葉なので今でも学生に伝えている。
 イエス様の教えを聞き、なさったしるしに多くの人が驚いたことをマルコ福音は随所で伝えている。
4月からは、大学を退き、新たな宣教の場をいただく。どの場所にいても、命に触れることへの畏敬の念を持ち、悩みや生き辛さを秘めている人々に、キリストの光をもって寄り添えるよう努めていきたい。 
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