純心聖母会は、長崎大司教区に本部を置く聖母マリアの汚れなきみ心に捧げられた教育と社会福祉の使徒的活動を行う聖座法の女子修道会です。

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純心聖母会
〒852-8142
長崎県長崎市三ツ山町415
TEL.095-848-2241
FAX.095-843-7570

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福 音 宣 教 の 小 道

 

★神様のひろば★

★神様のひろば★
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神よ、あなたは万物の創り主
2018-11-01
「神よ、あなたは万物の創り主」(シスターS)
 
 「神よ、あなたは、」この続きは?「ばんぶつのつくりぬし」と声を張り上げて答えてくれるのは、初聖体準備開始から数週間後の一コマ。なんとも純粋な可愛い子どもたちとの勉強に、私自身が学ばされること多々! 担当して3年目にはいる。ひらがなの多かったプリント準備に、少しずつ漢字を入れて、書き込みの枠も少し狭めるなど、毎回成長を見せてくれる子どもたちとの勉強は、自分も楽しい。私の計画の大枠は「神を讃えよう。神は偉大、すべては神に創られた」である。神の創造!一番の傑作は、人間・僕やあなたたち、兄弟・両親友人も。宇宙・草花・魚・動物等をイラストまたは文字で、毎回書き足していくファイルを作り、「神よ、あなたは万物の創り主」への賛美をこめて、初聖体の日のおささげにしている。
 小学校2年生の9月から始めて、次年度6月のご聖体の祝日までの期間、月2回のペースで、13~15回のプログラムを組んでいる。イエス様のこと、神様のこと、マリア様のこと、秘跡のこと。弟子たちとイエス様のことへの思いや知識が増えてきて、学びの喜びを家族にも話している様子を聞くと、私も嬉しくなる。
 毎回、時間の閉めには、「ありがとう神様」を歌うことを続けていたことで、学校にいる時にいつの間にか心の中で歌っていたとも話してくれる子どもたち。親の目からも、勉強が始まってからの成長を感じる話を伺う時、それは教会の将来への希望であり、イエス様・マリア様の喜びであり、天使たちの歓喜であると想うと、自分も可能な限り担当奉仕を通して神の栄光のために、預言職を果たしていきたいと思う。
 初聖体を受けた子どもたちが、早速待たれるのは侍者の入門式。本人たちも憧れていた祭壇奉仕!先輩たちと同じ侍者服の試着の日は、親子共々喜びの日。次週のミサに緊張して居並ぶ様子もまた教会の喜びの日。本人たちにとって、その最初のご奉仕は、大人になってからも、信仰生活の礎になるであろう。
 例年のことながら、日に日に毅然とした侍者に成長していくのも頼もしいかぎりである。
 
「明るい灯」になれますように!
2018-10-01
「明るい灯」になれますように!(シスターA)

 去る8月26日(日)の長崎新聞の第1面に、「ゆかりのある人たちの証言と映像でゼノ修道士の生涯を追ったドキュメンタリー『ゼノさん』が、ポーランドで完成した」というニュースが紹介されました。新聞を読みながら、私も、ゼノ修道士と直接に出会われた方から伺った感銘深い話や、東京の山手線の中で、修道女に囲まれたゼノ修道士の笑顔に出会い、その情熱に改めて感動を覚えたことなどを思い起こしました。特に次の話は、宣教の歩みを助けてくれます。
 
① ゼノ修道士は宣教に出掛ける時、話す時間と同じくらいの時間を聖堂で祈っていました。そのため、時にはベッドに休む暇がない時もありました。
② 宣教に出掛ける時、ゼノ修道士がお金を持ち出していましたので、修道会もゼノ修道士が自由に使えるように配慮しました。ゼノ修道士は臨終の床で申しました。「私がお金を持ち出していたのは、自分がお金を欲しかったためではなく、宣教に大切な『愛の心』を修道会に育てたかったからです。宣教は、神様のことをのべるだけではなく、相手への具体的な配慮が大切です」と。
③ ある日、北海道のトラピストにゼノ修道士が来られ、「乳牛を見たい」と言われたので、私の弟ビィアンネ修道士が、牛舎を案内したそうです。乳牛は50頭ほどいました。ゼノ修道士は、時折、牛の鼻面(はなづら)を撫でていました。牛舎を一巡して「これで全部です」と伝えたところ、「子どもたちこれ要ります。マリア様これ要ります」と言って鼻面を撫でた5頭を希望されましたので、早速、少年の森に贈りました。ゼノ修道士が選んだ5頭は、良く育っていました。
 
 ゼノ修道士の「①祈りの心、②愛の心、③聖母と共に人々のために尽くす心」は、宣教のキー・ワードですね。ゼノ修道士さま、私たちが宣教のキー・ワードを生きて、人々の中で「明るい灯」になれますよう、お祈りください。
 
ブラジル Irエリーザありがとう
2018-09-01
ブラジル Ir.エリーザありがとう(シスターL)

 今年になって、私の修道会の仕事以外の活動が少なくなったのは、特にSrエリーザのお世話を始めたからです。でも、その中で命について、多くのことを感じましたので、分かち合いたいと思います。Srエリーザは、よくなることを望みながら癌と闘っていました。私たち外部から見る限りでは、死を考えてはいないようでしたが、病状は悪化し、シスターの抵抗力は無くなっていました。日々、状態が弱ってきている中で、私自身、介護者として精神的にも、肉体的にももっと力が必要でした。時々、チャペルに泣きに行ったり、怒りを感じたりの混乱の時でした。
 最期のころ、シスターのためにみんなでいろんな努力をしました。身体の衛生面のお世話、食べ物、投薬等々。彼女は、一度も、不満な表情を見せたことはありませんでした。シスターの体は弱ってきていましたが、精神面は、強まっているのを感じました。シスターが私に言った事は、「他の人が、神様に近づくために、この苦しみが役立つならいい」と。
 シスターの様子を伺いながら感じたことは、神様がどんなに私たちを愛し、大きな苦しみの中にも、決して見捨てないということでした。神様がシスターとともにおられたから、絶望的でなく、落ち着いた静かな状態で、平和のうちに、この生涯を全うされたのだと思います。
 彼女が病床についてから、姉妹たち、友だち、家族の方々の祈りの力を強く感じさせられました。お世話するためにも、また、シスターが、病と闘っていくためにも、神様から来る力を得るために、皆さんの祈りが必要でした。考えてもいなかったこの出来事を通して、私たちの修道会が、子どもたち、老人たち、病人たちなど弱い人々のお世話をする使命が、敬愛するイエス様のため、生命の価値、神様からいただいた命を大切にしていくことの必要性に、目覚めさせられました。時々、私たちの命は、自分自身のためだけのように生活しているのを感じます。まだ、自分一人で生活できるときはよいとしても、他の人の手助けが必要になる時、謙虚さが必要になります。謙虚さは、神の恵みであることは確かです。お世話することやお世話されることが大事なことではなく、私たちの命は神様が支持なさるということが大事なことだと思います。
 いつも、私たちの生命の指導者でいてくださいますように、神様からの恵みを願いながら。いま、神様とともに生きているシスターエリーザを、私たちはなつかしく感じます。でも、シスターは、神様とともにいて、私達のために、取り次いでくださっています。
 
ザビエル教会学校リーダーを終えて
2018-07-01
「ザビエル教会学校リーダー」を終えて(シスターY)

  教会学校リーダー奉仕に多くの時間をいただいたことに感謝し、報告させていただきます。
◇ザビエル教会の永山師と末吉師より教会学校リーダーを依頼され、以来、敬老パス券での通勤がはじまった。
◇毎土曜日、10時からのリーダー会に信徒4名と私、司祭が集まる。「こじか」をテキストに、リーダーたちの豊かな生活が分ち合われ、笑いあり涙ありの勉強会を4名で1人分と表現したが、立派な信仰生活を生きている方々だった。
◇小学生が中学生に、中学生が高校生に、高校生が大学生に成長していくころ、私たちは男子・女子ともに祭壇で侍者をさせていただけないかと教会の中央典礼担当者に相談した。許可をいただき、これで教会学校が一段と活気づいた。
◇当時、ザビエル教会には「高校生会」はなかった。遠足で近くの城山登山の折、二人の上級生に「高校生会をつくったら」と持ちかけたところ、「シスターが責任者になってくれたら僕たちひき受けます」とすんなり引き受けた。
◇高校生会の誕生。きびしい「特進クラス」に在籍しながら、マリア山荘での高校生合宿を永山師のご指導のもと、実施。3年間全員が無欠席で参加したことは、基礎作りに大きな力となった。
◇子どもたちのカトリック信者としての成長を目のあたりにし、次々に秘跡を受け、社会人となっていくのを身近に見、応援させていただくことは大きな喜びとともに、別れは辛いものだった。けれども、これはリーダーとして当然のこと。充実感とともに寂しい体験だった。
◇現在、彼らは大学を卒業し社会人となり、一人は大会社の幹部に、一人は市立病院の医師に、一人は広島のユニクロの責任者に、また外国留学など活躍しながら、温かい家庭を築き、子どもが誕生し、日曜日のミサには家族揃って与り、信徒の大きな喜びとなっている。
◇この間、私は大隅半島にある鹿児島教区の垂水幼稚園の宗教授業を担当し、フェリー片道40分の通勤を1年間担当させていただいた。その授業案は、純心聖母会の意向で宣教センターに提出させていただいている。
以上、13年間の教会学校リーダー奉仕のご報告とさせていただきます。ありがとうございました。
 
宗教の授業のひとこま
2018-06-01
宗教の授業 ひとこま(シスターM)
 
 4年間の神学の勉強を終えて、八王子修道院に派遣され、中学、高等学校で宗教科の授業を担当するよう になってから1年が経った。宗教科の授業と言えば、生徒たちに退屈、息抜き、眠いというようなイメージで捉えられがちであることは否定できない。そこで、近ごろでは当たり前のように耳にするアクティブ・ラーニングを採用した。生徒自身が主体的に調べ、自分の考えを発表する授業を中心に高校では行なっている。
 高校1年生は、2年次に行なう長崎研修の事前学習の一環として長崎のキリスト教に関連する場所や人物に関するテーマでのポスターツアー、2年生は、日本カトリック司教団の『いのちへのまなざし』が取り上げているいくつかの生命倫理の問題に関するテーマでのポスターツアー、3年生は核兵器と原子力発電についてのグループディスカッションを行なっている。
 一例として高校1年生のポスターツアーで生徒たちが出したテーマの一部を紹介すると、生徒たちは、「26聖人は後世に何を残したのか」、「潜伏キリシタンは迫害が厳しい時代にどのように自分たちの信仰を子孫に伝えていったのか」、「なぜコルベ神父はアウシュビッツで死刑囚の身代わりになったのか」というテーマを挙げ、それぞれに「26聖人は後世にキリスト教の魅力と本当の幸せのあり方を残した」、「潜伏キリシタンは、外見は伝統仏教の様式を取り入れながら、自分たちの信仰を守るための組織をつくって次の世代に信仰を伝えた」「コルベ神父は殉教者となるべく生きてきたから」と結論づけていた。
 生徒たちの発表を聞いていると、私自身がこのようなテーマについて授業を行なったとしても、生徒自身が学び、感じとったような答えが出せただろうかと思える。このような生徒たちの姿を見ていると、彼女たちの中にある信仰者の生き方から神の愛や働きを見いだせる力を強く感じる。
 先日、そのときの1年生だった生徒たちを引率して長崎研修に行ってきた。その際、浦上天主堂や如己堂、日本26聖人殉教地など、授業で生徒たちが調べた人物や出来事に関連する場所を訪れた。時間をかけて自分たちで調べ、考えたことを実際に自分の目で確認することで、彼女たちの心に何か生涯残るものがあればと願っている。
 
神様から託された召命
2018-05-01
神様から託された召命(シスターS)

 召命促進委員会の活動の一つに「成人黙想会」がある。長崎地区で行なっていた成人黙想会を関東地区でも行うきっかけとなったのは今から7・8年前のことで、東京純心女子大学で関わっていた学生たちへの呼びかけに遡る。キリスト教のことを全く知らずに入学した学生たちとの日々の関わりの中で、聖書に関心を持つ学生が意外に多いことに気付き、研究室で聖書の勉強会を始めた。数か月間、聖書の勉強会を続ける中で、確かにみことばを通して神が学生たちの心に触れてくださり、一人、また一人と洗礼希望者が現れた。幸い、レデンプトール会の井田明神父様が、授業のために毎週おいで下さり、学生たちの受洗のための勉強から洗礼・堅信式まで丁寧に指導してくださった。
 聖書の勉強会から受洗・堅信へと導かれた学生たちの希望により、黙想会を行なうようになった。やがて、本会主催の「成人黙想会」へと移行し、参加者は東京純心大学の学生から、小教区で関わる信徒の方々、純心の卒業生や関係者など次第に広がっていった。
 毎年、関東での成人黙想会を継続していく中で心がけてきたのが、日ごろの霊的な関わりである。黙想会参加者の希望者には、毎月、聖書の勉強会に誘い、一緒に聖書を読み、学びの時を持ち分かち合いを行なって関わりを深めていった。同時に関東地区の姉妹方は、積極的に卒業生や教職員関係者等を黙想会に誘い、協働者養成の一環を担って、スタッフとしても協力参加された。聖書の勉強会から成人黙想会への橋渡し、純心学園関係者の参加、姉妹方の協力が功を奏して、関東地区の成人黙想会も年々、広がりと深まりを増してきたように思う。
 聖書勉強会や成人黙想会を通して実感することは、私たちの周りには永遠に変わることのない「本物」を渇望している若者が、私たちが想像する以上にいるということである。私たちに今できることは、彼らの存在に気付き、彼らの歩みに寄り添い、一人ひとりに神様から託された召命(使命)に気付く手助けをし、真理であるイエス・キリストのもとに導いていくことなのではないだろうか。
 昨年度の成人黙想会参加者の一人が、メッセージを残してくれた。「この黙想会で沢山の愛を感じ、大変幸せな気持ちでいっぱいです。お祈りをしてくださっているシスター方をはじめ全ての方に心から感謝いたします。是非、また来年も参加したいです!」私たちの日々の小さな声かけが、一
人でも多くの若者に届いて愛と幸せを感じてもらえるのであれば、それこそが宣教の第一歩なのだと信じている。
 
命に触れる
2018-04-01
命に触れる(浦上修道院)

 最近、学生と関わっていて、表には出さないが心の中にしまい込んでいる苦しみや悩みをかかえている学生によく出会う。幼児期についての学びが深まれば、さらに辛くなる学生もいる。
 4年生が受講する宗教の授業では、自分を振り返る作業をいくつか行なう。心理学の専門家ではないので、自分にできる範囲を見極めながら展開していくのだが、振り返り用紙にはほとんどの学生がA4サイズの半分にびっしり感想を書いたり、空き時間にやってきて、授業の感想や授業をきっかけに思い出したことを話したりするのである。福岡在住の住職の方が、試験の点数だけで評価されない科目があっても良いのではないかと言われていた。本人が誠実に取り組めば、評価してもらえるという方法である。少しでもそのような評価ができるように、振り返り用紙を学生の了解を得て印刷し配布している。学生たちは、他者の意見の中に同感する言葉や反対意見を知り、徐々に自信をつけていく。授業時間以外にも自主活動を求められる学科なので、聖書の勉強会や信者の学生へのカテケージスの時間はなかなか取れない。しかし、長崎純心大学では、月曜日に一日ゆっくり待っててくれるシスターがおられるお陰で、受洗者が出たり、ミッションスクールの存在に興味を持ったりしている。このような大切な場があることに感謝している。
 また、キャンパス内にはシスター江角が遺してくださったものを通して、命の大切さを伝えることができる。ある資料を通して、シスター江角が三ツ山に大学が移転する時、自然に生えている木をできるだけ残したいと言われ、現在も健在な木があることを知った。このような自然に触れるときが一番、神様を近く感じられるのは、命に触れるからかもしれない。一人ひとりの命の大切さを、シスター江角は、栽培活動を指導しながら次のように言われた。「この小さな植物を大切にできなくて、どうして人さまの大切なお子さんを預かることができますか。」学生時代に、私自身が伺った話である。とても簡潔で、的を射た言葉なので今でも学生に伝えている。
 イエス様の教えを聞き、なさったしるしに多くの人が驚いたことをマルコ福音は随所で伝えている。
4月からは、大学を退き、新たな宣教の場をいただく。どの場所にいても、命に触れることへの畏敬の念を持ち、悩みや生き辛さを秘めている人々に、キリストの光をもって寄り添えるよう努めていきたい。 
 
保護者への福音宣教
2018-03-01
保護者への福音宣教(八王子修道院)

 東京純心女子高等学校発足後22年たって昭和61年(1986)、中学校が開校した。2年位経ってある一人の先生が、保護者対象に聖書のお話の集いを行なってはどうかとの提案を受けて、全ご父母にお知らせを配布した。申込者が多かった場合どうしようと心配していたが、杞憂に終わってほっとした次第であった。当時、これに関わった先生たちはシスターたちの他にカトリック信徒の先生もいた。グループ名を付けたところもあり、「野いちごの会」とか、私のグループは「泉の会」であった。
 転勤のために他のシスターに継続を依頼。しかし、生徒が卒業すると自然消滅の形となることが多かった。10余年後、八王子に戻った時、「泉の会」の名は続いていたものの色々な事情もあり、現在は年一回程度集まりを持っている。しかし、個々に連絡があったり、お目にかかるチャンスもあり、純心の絆は続いている。
 この保護者対象の動きが、現在もシスターたちによるお母様方への宣教の形として続けられ「聖書に親しむ会」として、月一回程度、修道院の小さな応接室を利用して継続されている。直接洗礼につながることはなかなか難しいが、しかし、み言葉の種蒔きによって祈る心が培われ、神様への方向性が形づくられて、少ない人数ながらも広い意味での神の国が実現しているように思われる。
現在私の一グループは、在校生の母親(カトリック信徒)の依頼によって始まった。
 「心がほっとする聖書の言葉に触れたい」と望んでいる友人がいるのでお話を伺いたいとのことであった。この方の持参した聖書には、新約のみならず旧約の部分にもたくさんの付箋がついていて、プロテスタントの教会で聖書を読んでいた方ではないか(?)と思っている。カトリックの母親もともに参加し、聖書を全く知らない友人がまた一人加わった。
最初に味わったみ言葉は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ5・16~18)である。
 イエス様の呼びかけが心を安らかにし、あたたかいお恵が満ちあふれますようにと祈りつつ始まったグループであった。今、5名のお母様方が参加している。
 
人間のはかなさ
2018-01-01
人間のはかなさ(川内修道院)
 
 何年か前、修道院の遠足でパラグアイの奥地にあるイエズス会の遺跡を見学したことがあった。スペインからの宣教師たちは原住民をヨーロッパ風に教育した。宣教師が亡くなり、残された原住民はもとの森の生活に戻っていった。この遺跡を見た時、人間のはかなさを思い知らされた。
 それ以後、死について考える機会が多くなり、ホスピスを始めたスイス人のエリザベス・キュープラ・ロス博士の『死ぬ瞬間』やその弟子のデヴィット・ケスラーの本を読むようになった。過ぎゆくものの一部である私たちの人生に神様が与えてくださった恵みについて。
 川内修道院は12名の共同体。私にとって初めての大きな共同体である。幼稚園では若い先生たちの中のおばさんシスター、子どもたちからは「どうちゃん」とか「どうぞのピー」と呼ばれ、40年ぶりの日本のシステムにウロウロしている。反面、共同体では若いシスター、貴重な体験である。
 『ラウダート・シ』からエコロジーについて、子どもたちに分かりやすく具体的に話したり、8月の終戦記念日には 平和、生命について、また見る・識別する・実行すると、いつも考える習慣を身につけるように説明したり、夏休みの学童クラスではポルトガル語の授業もした。
 与えられた場を利用して、今、自分にできることを模索している。小さい子どもでも自分の意見をしっかり持っていて、補助に入ったクラスで私なりにやろうとすると、「まちがい」と反応する。こんなやり方もあると柔軟な心を持ってほしいと思う。
 過ぎゆくものである私たち、残るのは心だけ。どれだけの真心をどれだけの人々に伝えられるのであろうか?
誕生の奇跡に運ばれてきたように 死の奇跡に運ばれていく
「死にゆく人の17の権利」 デヴィッド・ケスナー
 
神の恵みの豊かさの中で
2017-12-01
神の恵みの豊かさの中で(ベタニア修道院)

 鹿児島純心卒業のTさん、受洗されて今年で16年になられる。加えて古希を迎えられ、溢れる喜びの便りでは「日頃、洗礼の恵みに感謝し、何事か起こる度に祈り、平安をいただいています」と、信仰の恵みを伝えてこられる。
 Tさんの受洗のきっかけは、16年前の私が新任地への出発を翌日に控えた深夜のこと、Tさんからの電話でご主人が危篤であると告げられた。「何とか力をください」と願われる中で、さらに洗礼を希望されたので、鹿児島教区の神父様に電話でお願いの連絡をとった。その折ご主人だけでなく、夫妻ともに洗礼の恵みをいただいたのであった。その数日後、ご主人は帰天されたが、彼女は悲しみの中にも大きな慰めをいただかれたようである。
 その後のTさんは、現在の所属教会で要理を学び、信仰の喜びを行動で実践され、信徒の方々にもよく知られる存在である。その活動は、ホームレスの方たちへの支援ボランティアを9年、ザビエル教会の案内ボランティアを10年ともに継続中で、これら活動での出会いを通して感謝しておられる。「神様への恩返しと思っていましたが、自分のためのような……」と内省されながらも。
 また一昨年帰天された母上も、受洗に導き、信仰の深さを体験され、折あるごとに信仰の実践的喜びを分かち合ってくれる彼女に、私も励まされ宣教の使命に力づけられている。
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