純心聖母会は、長崎大司教区に本部を置く聖母マリアの汚れなきみ心に捧げられた教育と社会福祉の使徒的活動を行う聖座法の女子修道会です。

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純心聖母会
〒852-8142
長崎県長崎市三ツ山町415
TEL.095-848-2241
FAX.095-843-7570

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057247
 

福 音 宣 教 の 小 道

 

★神様のひろば★

★神様のひろば★
 
神の前に無心に遊ぶ幼子のような者に
2021-04-01
「神の前に無心に遊ぶ幼子のような者に」 シスターT
 
 浦上修道院で神さまのひろばと言えば直ぐに閃くのは、純心宣教センター前のちょっとした広場です。保育児童たちの散歩道・遊び場にもなっていて、そこでの光景には、幼稚園の手伝いに出かける際に先を急ぐのも忘れるほど魅了されます。
 幼児たちはそこで我が物顔で自由にたくましく、喜々として遊んでいます。よちよちとして全身ではしゃいだり、泣いたりする愛らしい仕草や表情、内から溢れ出る瞳輝く笑顔、じっと見つめるあどけない美しい瞳、ハイハイから必死に起き上がろうとする集中力、全速力で階段まであとに付いてきて、おっとやばいと思ったのか、後ろ向きになって懸命にずり降りようと挑戦する仕草、彼らを優しく見守り寄り添う先生方、その周りで姉妹方と触れ合う姿は何とも新鮮で笑顔と笑顔がはちきれんばかりです。
 ある日、「ここを使わせていただきとても安心です」との先生かたの声を伝え聞いたとき、はたと気付きました。この広場の動的な中にも何とも言えない落ち着きや静けさは、修道院の前ということで信頼してくださっているのだと。先生方の安心感は幼児たちにも伝わり、神さまの優しく柔らかな光に包まれているのだと。
 これこそまさに、神さまの広場、神さまの光を一身に浴びて無心に遊ぶ幼児たちの広場「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者も正しくない者にも雨を降らせてくださる天の父」(マタイ5・45)の祝福に満ちた広場だと。姉妹たちのとの会話で、近くに子どもたちがいるだけで元気になる、癒される、希望が湧く、洗われる、心底笑える・・・の言葉が弾みます。
実に幼児は無心に遊ぶことで、御父のとっておきの祝福に、とっておきの賛美で応えているのでしょう。この幼児たちのパワーを詩篇8・2-3に見ることができました。
 主よ、わたしたちの主よ、あなたの名は全地おいて何と輝かしいことでしょう。あなたの栄光は天の上で歌われています。あなたは幼子や乳飲み子の口を、逆らう者を退ける砦とされました。敵と仇討する者とを黙らせるためにそして思い起しました。天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して幼子のような者にお示しになりました。父よ、これは御心に適うことでした。(マタイ11.25-26)
 
小さな種まき
2021-03-01
「小さな種まき」 シスターH

 川内の恵まれた自然の中、天辰での生活も3年目に入りました。共同体は、大学に出かける姉妹、修道院に残る姉妹、計6名です。昼食はめいめい弁当を作ったり、大学の食堂だったり、修道院にいる姉妹も各自で作ります。共同体での私の炊事の仕事は、姉妹方がそれぞれ仕事を終え、ホッとして夕食をとることができる雰囲気、料理を準備すること。また、用意された食事が毎日の力、エネルギーになり、神様のみ旨を果たすための助けになれたらと思い、作っています。
 食事作りの他に、毎年春、天草や卒業生にいただく「あまなつ」で一年分のマーマレードを作り、皮も実もたっぷりで美味しく鮮やかなマーマレードができます。お世話になっている先生方、知り合いにおすそわけ・・・。これが終わると天気のいい日に、庭の片隅にある小さな畑で野菜を作り、楽しんでいます。
 一年に一度の仕事にクッキー作り、お世話になった方々に。また、学校のお手伝いのアップルパイ作り。そして、おせち料理作り、留学生、隣の一人暮らしの方や親しいご家族に・・・。
 それらの合間に手仕事。神様に頂いたタレントを生かし、金祝、銀祝を迎える姉妹へのコサージュ作り。そして、リースストラップ作り。作りはじめは何年も前から、机の引き出しの片隅に眠っていた巡礼のおみやげに頂いた小さなメダイと再利用のリボンから始まりました。姉妹の祝日のプレゼントに、学校やホームでのバザーに、広がっていきました。天辰に赴任してから数がグーンと増えました。それは、学長様よりお願いされたからです。大学では4年生になると国家試験を受けます。学生が心を落ち着かせ、力を発揮できるように、お守りとしてあげるためでした。このリースストラップが学長様の手助けになると思うと力が入りました。
 宣教という大きな働きはできませんが、この小さな種がいつか、どこかで芽を出す時がくることを願いながら作り続けていきたいです。これからも自分ができることを共同体の中で生かし、奉仕ができるように神様に力を願いながら歩んでいきたいと思います。
 
ポソさんの花
2021-01-01
「ポソさんの花」 シスターM

 年のはじめの福寿草、黄金の色の暖かく、つづいてかほる梅が香にうぐひす鳴かぬ里もなし
 これは『尋常小学読本』に「花ごよみ」として掲載され、12月の枇杷の花に至るまで四季折々の花が紹介されているものの一部です。私はこの奥深い自然の美しさに魅了されながら八王子で過ごさせていただいていますが、一昨年、次のような「ポソさん」との出会いもありました。
 ポソさん(仮名)は高校1年生。体調不良でよく保健室にお世話になっていました。その保健室からの声かけで労作に特別参加し、滝山の爽やかな自然の中で体を動かすことになりました。11月のある日、春の花スイートピーの種まきに取り組んだ時のことです。先ずポソさんが元駐車場だった所に穴を堀り、その間に私が腐葉土・肥料を用意するという分担で、私はその場を離れました。準備を整えて戻ってみると、ポソさんは何と流れる汗をものともせず予定していた数倍もの大きな穴を無心になって見事に掘っていたのです。大変驚くとともに、彼女の秘められた力の大きさを垣間見たような気がしました。丁寧に土づくりをし、種子を入れて支柱を立てて終了。「よく頑張りました、次は少し休憩ね」という事でポソさんが育てたレタスとラディッシュ・里芋のサヌカツギ3個の一皿。紅葉したぶどう棚の下で、青空を見上げては「おいしい!」とポソッと言ってしっかりと味わっている様子はうれしい光景でした。これが私の中では「ポソさん」という印象深い名前となった
次第です。
 聖書の中に食事の場面はよく出てきます。湖のそばで5つのパンと2匹の魚の奇跡物語は、人々をまとめて百人50人と座らせたと書かれてあります。その「まとめて」は、実は花壇に植えられた花々が整然と列をなしている様子を意味するとか。イエス様の目に人々は大切に手をかけて育てる愛らしい花々のように映ったのであれば、その列にポソさんも加えてほしい。いやもうすでに手を合わせて食するポソさんは、イエス様のそば近くに座っておいしくいただいていたに違いありません。
 聖母月、マリア様の前に白磁の壺で捧げられた紫・深紅・ピンク・白のポソさんスイートピー。シスター方の祈りとともに聖堂一杯にその香りは広がりました。そして新型コロナウィルスで休校中の彼女から、「自分の目標が明確になり新しいことへの挑戦に恐れないで踏み出した」旨の便りが届いたのでした。
 
ともに祈る集いの中で
2020-12-01
「ともに祈る集いの中で」 シスターH
 
 私は、養護老人ホーム恵の丘で調理員として奉仕させていただいています。
 介護職のような利用者との関わりはないのですが、食事のために食堂に来られた利用者に挨拶をして関わることができます。そして、食べ終わったあと、「ごちそうさま」「お疲れさまです」などと声をかけてくださる方もおられます。このような利用者との関わりですが大切にし、「おいしかったよ」と言ってもらえるよう日々励んでいます。
 ホーム内では、毎日欠かさず行なわれていることがあります。午後1時半からの『世界平和のためのロザリオの祈り』です。これまでずっと続けられている祈りです。決まって参加する利用者は4~5名ですが、時に10名程になることもあります。今年は4月から「新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り」が取り入れられて、利用者にも呼びかけて参加者が増えています。このような小さな集いですが、5月には聖母祭、8月には亡くなった方への供養のための祈り、10月にはロザリオ祭、11月には故シスター江角ヤス先生のご命日に、12月にはクリスマスの主のご降誕のお祝いにと利用者・職員が揃って祈りを捧げています。
 利用者と職員の宗教は様々で、カトリックでない方が多いのですが、利用者が集まりカトリックの精神で祈りを捧げることに大きな意味があるのだと思っています。 
 
未来は子どもの手の中に
2020-11-01
「未来は子どもの手の中に」 シスターT

 鹿児島純心女子短期大学で保育者を目指す「こども学専攻」の学生たちとの関わりがほとんどです。
 若者言葉によるコミュニケーションが日常になっている彼女たちの会話の中で、言葉使いを注意することがよくあります。「今の言葉、マリア様が聞かれたら悲しむわ」と。すると「マリア様、ぴえん、先生もぴえんですね」と、良くない言葉使いであることが分かっているようです。「ぴえん」とは悲しい気持ちを表し、嬉しい時も使えるそうです。
 ピアノの授業では、課題が弾けなくて「やばい」(まずい)、仲間が練習の成果を発揮するのを聴いても「やばい」(素晴らしい)と言って褒めます。7階のピアノ室から桜島と幸いに聖母マリア像の後ろ姿が眺められます。「マリア様に聞いてもらいましょう」と呼びかけると背筋が伸び表情も和らぎます。
 「マリアさま」という響きが柔らかく親しみやすいのでしょう。
 先だって地域の親子の方々が参加する「純心こども講座」に向けて企画準備をしました。台風の接近で10月10日の実施が危ぶまれましたが、当日は快晴となり「神様に感謝」と言うと「マリア様に感謝」と応えるのを聞いて嬉しくなったりもします。
 音楽の授業で「季節の歌」の説明を始めると「先生、『り』、早く歌わせて」と。「り」とは「理解した」という意味です。「わかりましたか」と尋ねて反応がなくても、「り?」と聞くと「り」と即座に応えるのでこれは私も適宜使います。
 そのような中、「はっ」とすることもあります。子どもとしっかりと手をつなぎ、子どもに信頼された喜びの体験から「心は掌にあると実感しました。今まで胸(心臓)のあたりにあると思っていたけれど」と。キリスト教概論が「むずい」(難しい)と言いながら、聖書のイエス様のことばを読んで「ゆるさなきゃと思いました」と。子どものために頑張ってパワーアップする彼女たちは、舞台発表やパフォーマンスの最後に「未来は子どもの手の中に、We love Kids」と宣言します。
 教皇様が若者を愛し未来を託されているように、「未来は若者の手の中に」あり、神の愛に生かされ、守られていることを忘れないでほしいとていねいに学生たちと関わりたいと思います。
 聖母に導かれて来た純短の様々な学生たちを、「神さまにも人にも喜ばれる女性」として社会に送り出すことができますように。
 
「神様に繋がる」ひろば
2020-10-01
『神様に繋がる』ひろば シスターT

 私の奉仕の場は恵の丘原爆ホ―ム本館の一角にある「恵の丘診療所」です。一年半前まではホームの看護師としてホーム内を歩き回っていましたが、今は月曜から金曜までの内科・月2回の整形外科の診療の準備、介助をさせていただいています。
 今年創立50周年を迎えた原爆ホームと同時に設立され、6年ほど前に朝長万佐男先生を所長として迎え、新たな体制で歩み始めました。
 当時ホームの落成の挨拶で故江角初代会長様は「この仕事を始めるに当たっては、どうしてもお医者様が必要でした。医療が受けられないと、原爆で年取った方々が安心できないと思いましたので…」と述べられ、長崎大学病院原研内科部長をなされていた朝長先生(万佐男先生のお父様)に頼まれ、ご協力いただいてそれ以来50年原研内科の先生方にお世話になっています。
 今ではここ三ッ山の4つの福祉施設の利用者・職員・近隣姉妹たちの相談や薬の処方などもでき、もしこの診療所がなければ、他の病院へ外来するか往診を頼まなくてはいけないことになっていただろうと、故江角初代会長様の先見の明の偉大さを感じています。
 毎日の診療や検査などで利用者と関わるとき、また新しい入所者と関わるときは、苗字でカトリック信徒と思われる方に声をかけ、教会や洗礼名などを伺いながら会話が弾むことがあります。
 カトリック信徒でない方でも、ご自身が卒業生だったり、家族に純心学園に繋がりがある方も多くおられます。先日も「ずっとこの三ッ山(原爆ホーム)に入りたいと思っていた、やっと願いがかなった。」と喜んでくださっていました。こういった言葉を聞くと私も心が温かくなり、純心の宣教は繋がっているのだと感じます。
 また、診療をする中で医療ではどうすることもできない人間のいのちについて考えさせられます。ホームで最期を迎えられる方は、多くが穏やかで静かにその時を迎えられます。このような看取りを体験する度に、人間の神秘・生命力・神様の創造の業について思わずにはいられません。
 それぞれ奉仕の場、内容は違っていても結局は神様へと繋がっていることを感じつつ、先輩方が遺してくださった『神様に繋がる』このひろばを大切にしていきたいと思います。
 
小さな天使との出会い
2020-09-01
『小さな天使との出会い』 シスターY

 事業所を持たない島原修道院に身を置きながら、新しい宣教の形を模索し、私が学んだ宣教への意識改革について、綴ってみたいと思います。
「おはようございます。」と、宣教の相手がやってくる、当たり前に感じていた事業所の朝の風景。一変して、島原では人と会う機会がほとんどない毎日に、私は戸惑いを感じていました。
 そんなある初夏の夕暮れ、教会の戸締りに行ったときのこと。いつものように扉を開けると、そこには小さな天使が大きなスリッパをはいて十字架を見上げているではありませんか。その子の名前はAちゃん。関東からお母さんと一緒におばあちゃんの看病に来たのだとか。夕陽に映えるステンドグラスの光の中にいる彼女と出会い、私の心の変化のきっかけとなりました。「この子がどうしても中に入りたいというのでお邪魔しています。」というお母さんに、ミサへのお誘いをしたところ、毎日曜日ミサに参加されるようになり、Aちゃんのために小さなスリッパを用意することにしました。最初は二択できるように色の違う2足を、やがては彼女の成長に伴い三択できるように3色に。毎週好きな色のスリッパをはいて嬉しそうにイエス様を見上げ、皆と祈りのひと時を過ごし、十字架のイエス様にバイバイと手を振り帰っていくAちゃんは、そこに集う教会家族の喜びとなりました。そのうちに看病していたおばあちゃんは亡くなりましたが、親子はお父さんの実家であるこの地に住むことになり、お母さんは洗礼の準備を始めました。「A子が神さまの家に導いてくれました。」と嬉しそうに語るお母さんは天の国の宝を見つけた人のようです。これは、神さまの引力に導かれてやってきた親子に同伴する機会を得て、私の「当たり前」が180度転換した出来事です。
 その後も島原では、不思議な出会いが繰り返され、神さまの働き方をみせていただき、自分自身が福音化されていく貴重な体験を重ねることとなりました。それは、福音宣教の主体はイエス様なのだという心の記憶に残る学びでした。今、川内の地で、新たな出会いをいただき、『これは当たり前ではなく特別なんだ!』と、体感しています。今日の宣教は、私自身が「かみさまの広場」となること。出会う人々とともに、神様との交わりを愉しみ深めながら、小さな歩みを感謝のうちに進めています。
 
平和な神さまのお庭
2020-07-01
『平和な神さまのお庭』シスターY

 今、私は純心幼稚園に勤務して3年目を迎えています。ちょうど勤務し始めた年から、神さまのお部屋(アトリウム)が幼稚園の宗教教育の場として始まりました。私にとって、一番身近な子どもたちに宣教の場をいただいたことに感謝しています。環境の設営準備等で尽力された先生方の働きに感謝しつつ、恵まれた環境の中で子どもたちと日々神さまについて活動を通し学び合っています。卒園していく子どもたちには、毎年のように「小学校へ行ったら、神さまのお話は聞けなくなるけれど、神さまをわすれないでね」と伝えています。子どもたちは、神さまといつも一緒の生活が当たり前なので、それがどういうことなのかそれぞれに思案する様子です。
幼稚園の同級生だった友だちと短大で再会した時、「幼稚園で教えてもらったお祈りは今でも覚えているよ」と話してくれたことがとても心に残っています。
 幼く純真な時期に素直に神さまを受け入れ、日常生活の中で身近に神さまを感じ生きている子どもたちの姿に、人としての崇高な姿を感じ学ばせてもらっています。外遊びに出ると園庭のマリア様の前で自発的に手を合わせ怪我から守ってくださいと祈る姿はとても美しいものです。誰から声をかけられたわけでなく、園内にあるイエス様やマリア様のご像やご絵、クリスマス近くには馬小屋の前で一人手を合わせて祈る姿は、日常の習慣とは違う子どもの心からの行動だと感じています。
 アトリウムにおいては、宗教教材や教具での活動を行なっています。主に自己活動は年長組です。年長になったら神さまのお部屋でお仕事ができることを楽しみにしている子どもの姿も見られます。ここでの活動も部屋の出入り時は、十字架のイエス様に手を合わせて挨拶をします。思い思いにやりたいお仕事に向かう子どもたちの姿から、神さまが大好きという言葉にできないうれしさが出ているようです。
 年少、年中の子どもたちにも神さまのお話を同じお部屋でしています。からしだねのたとえ話、パンだねのたとえ話などがありますが、やはりどの子どもも好きなお話は「よい羊飼いのたとえ話」のようです。自分の命を捨ててでも羊を守る姿に惹かれるようで、「よい羊飼いはやさしい方」と活動後の子どもたちの発言で聞かれます。とてもやんちゃな男児はよい羊飼いをかっこいいと思ったのか「大きくなったら良い羊飼いになる!」と宣言し笑いが出そうになりました。
一人ひとりの子どもの魂が「3つ子の魂100まで」であることを願っています。
 
恵の丘の自然
2020-06-01
『神さまのひろば』(シスターE)
 
 私の所属する施設では新型コロナウィルスの緊急事態宣言中、感染のリスク回避のために2月末より面会制限や外出の自粛などの対応を強化してきました。そのような中で、利用者の心身を潤しているのは、広い敷地内の散歩や庭の手入れ、畑の野菜作りなど、自然の恵みの中での生活です。
 感染を恐れ、神経をすり減らしている職員も、ふと目に入る花畑や緑豊かな環境、新鮮な空気で癒されています。部屋の窓際で歩行器に腰かけ、一人でツツジの花見をしている人、開墾して花壇を広げている人、歩行困難で部屋から出られない方に育てた花を届けている人、温室で育てたクンシランをホームの各階に置き、ホーム全体を明るくしてくださる人がおられます。
 創設者のシスター江角が、開墾をして恵の丘の良い環境にホームを作ってくださったこと、そして後継者の姉妹たちをはじめ多くの方々が恵の丘を大切に守り育ててくださったことを有難く感じています。
 「一日中、することがない」とコタツの中で横になっているSさんを、散歩に誘うと喜んで支度をされ、中庭のシロツメクサで小さな冠をつくり、頭に被せてピースガーデンを散策していたら、軽トラで中庭にやってきた男性職員に「Sさん、マリア様かと思った。」と声をかけられ、Sさんも思わずニッコリ。
 ツツジを寄贈してくださり、ボランティアで毎年草取りをしてくださるIさんが、近所の方と一緒に恵の丘公園にツツジを見に来られました。「お祈りをして帰ります」とルルドのマリア像の前に立ち寄り祈っていました。その中の一人の方が「涙が出ました」と嬉しそうに話されたのが印象的でした。恵の丘の自然の中に、人々が神さまに心を向けて祈ることができる空間がある、その大切さに気付かされました。そして、そのような神さまのひろばが草むらにならないようにしようと心に決めました。
 「希望と慰めのよりどころである聖マリア、苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。」これが、施設の聖母月のテーマです。ウィルスには最も弱い高齢者の方々は、深い信仰と祈りで、世界と私たちを支えてくださっています。
 
神さまのひろば
2020-05-01
『神さまのひろば』(シスターM)

 私は現在、 名古屋から新任地の島原にきたばかりでこの原稿を書いています。「ひろば」といえば人々が集まり、動物も植物も存在する場所ですが、名古屋での生活も一つの「ひろば」であったように思います。名古屋は、いろいろな国の習慣や言語、考え方の違う人々が混在しているところです。当然、教会も国際色豊かです。Japanese・onlyの私が「何故、名古屋へ?」「いったい何ができる?」との思いで始まった名古屋での宣教は新たな発見とチャレンジの連続、共同体の分かち合いと支えを経験する恵みの時でもありました。今、静かに振り返ってみますと、共同体は確かに一つの「ひろば」でしたが、共同体以外からも私は「ひろば」に招かれていたと思います。その一つを紹介いたします。
 神の愛の宣教者会のシスターたちとカテケージスや食事会、おにぎり作りなどのボランティアをシスターたちの所でさせていただきました。教会でもどこでも出会うシスターたちはとても明るい。慎ましい生活と人々への愛の奉仕は神への強い信頼と人々への、特に助けを必要とする人々への思いには深いものがありましたが、その働きはすべての人に理解されているわけではありませんでした。ある人にとっては「無駄なこと・役に立たない・やっても解決しないこと」でした。
 それでも祈り、働き続ける彼女らは「神さまのひろば」にいて、シスターたちのそばに集まってくる人々の居場所を「神さまのひろば」にしているのだと思いました。
 私は時々、金曜日のおにぎり作りにでかけました。そのおにぎりを受け取るために公園に集まる人数は毎回100人以上。シスターたちとボランティアの人たちは、おにぎりを手渡す時、イエスがともにおられること、イエスが彼らを忘れていないこと、心の温かさを添えながら手渡していたのだと思います。その様子を見ながら、「ひろば」は「一つになる場所」だと感じることが度々でした。
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